★ こいぬのマーチ。 ★
〜犬がきました 06〜


 だから、考えると頭がぐるぐるするんだ!
 撫でると嬉しそう目を細める子犬の頭。少しかためのごわごわした毛並みを思い切りわしわしと指を動かして、可愛い舌で顎を舐められて少し笑って、それからそれから。
 子犬の真ん丸い、可愛い目でじいと見上げられて硬直する。

 こんなに可愛い子犬のゾロなのに。

 目の色だけ―――あいつと同じなんだ。
 人間のゾロと同じなんだ。

 思わず目をそらす。笑顔が強張る。指先がじんじんする。あどけない瞳が不思議そうに見上げてくる。
 こんなに可愛い子犬のゾロなのに。

 どうしてだろう。あの低くて無愛想な声が「どうした?」って言ってるような気がする。

 だからだからだから、
 ―――どうしよう?


***

「ちわ〜! ゾロ、いるかあ〜?」
「おう。エース」
 最近ちょくちょく遊びに来るようになったテンガロンハットの人懐こい男―――ルフィの兄、エースはいつものように歯を見せてにししと笑う。
 笑顔だけは本当に弟ルフィとそっくりだ。ああ、あと豪快で皿まで食い付くさんばかりの食いっぷりは兄弟かもしれない。
 家主である(名目は同居人だが)サンジが居なくても遊びにくるものだから、ゾロは少し驚いて訊ねたことがある。
「エース、あいつはいねェぞ?」
「あ? ああ、サンジに逢いに来たわけじゃねえ。ゾロ、お前釣り好きか?」
 そんなこんなで色んなところに連れ回されている。エースの乗る車はごついタイヤのついた「じーぷ」だの潰れかけた「べんつ」だのコロコロサイクルが変わるので、いつもゾロは不思議に思う。
「なあ、なんでそんなにいろいろ車持ってんだ?」
「借りてたり貰ったりするからなあ」
 エースは突然やってきては、ゾロが暇かどうかを(一応)確認し、
「じゃあ今日は山だ!」
 と突然登山を決行する。
 あるいは、
「天気がいいから海な!?」
 と突然漁船で海に出る。
 登山時の飯の作り方も、雨のしのぎ方も、鰹の釣り方も、魚のさばき方も、あるいはボーリングやシュノーケリング、ヒッチハイクの仕方まで全部エースに叩き込まれた。
 目を白黒させているゾロに対し、エースは笑いながらいうのだ。
「俺ァ、気に入ったやつに俺の気に入ってるもん全部教えるのが好きなんだ。こりゃあルフィもサンジも通った道だから、あきらめてしばらく俺に付き合ってくれ。な?」
 そんなふうに言われると、そういうものかと頷くしかない。それに、彼の弟であるルフィは別として…一応、ゾロの御主人であるサンジも体験した道と聞く。根をあげる気は毛頭なかったが、ギブアップしたとサンジが聞けば「だらしねえなあ、わんちゃんは!」なんて言われてしまうかもしれない。
 サンジは彼を「掴めない男」あるいは「底が知れない」と評する。一方弟のルフィは「明け透けかつ、底がない男」なんだそうだ。
 確かに人間にしては不思議な空気を纏っている。それはルフィも一緒なのだけど…物怖じしない、真っ直ぐにひとを見る姿勢が凄く好ましい。
 好ましい姿勢はその人間の生き方そのもの。ゾロ風に言えば、それがその人間の「匂い」になる。刺激臭にも似た強烈なものや、食えない匂いもあるけれど、その匂いが人間は特に克明で、独特で―――それは、半人半獣であるゾロが、ひどく、惹かれるものでもある。
 なかでも、一番かっとんでいて、鮮烈な匂いときたら―――サンジ、なのだけれども。

(腹減ったな)
 そんな風に外を眺めていたことだけは覚えている。
 世界を表現するなら白黒。モノクロームの中で自分の脈動と筋肉の動きと、冷静に状況判断できる頭だけがあった。
 多分、そう、ゾロは。
 ―――失望していたのだと、そう、思う。
 その時だ。店のガラス戸が揺れて、カウベルが小気味良い音を立てた。まるでひよこが跳ねてるような眩しい色に、一瞬視線を向け、そらした。
 外から見えるウインドウにべったり張り付いて、こうるさく遊べだのかまえだの鳴いているチビたちをヨダレをたらさんばかりに見つめていた男。
(あれは、生き物を幸せに出来る人間だろうか)
 小うるさく鳴いていたオウム、よく御飯について文句を言っていた猫、遊べと縦横無尽に動き回ってた犬。彼らは老夫婦に、人間の若いつがい…もとい、男女に、幼い子供つれの家族につれられてこのペットショップをあとにしていった。
 帰る場所や共にいる家族がいる。その感覚がいまいち分らない。希薄な反面、興味はあった。あの世界はどんな匂いが、どんな色が、どんな空気がするのだろうと。
 それも、何とも言えない虚脱感に見舞われる前の、話しだけれども。

 折角の興味は、帰る場所のある、家族をつくれる人間の手によって立ち切られてしまった。

 ゾロは、期待をしていなかった。恨んでもいなかった。ただ、失望の夢をまどろむだけ、そこに存在しいつか消えていくのだろうと、そう誰に教わるわけでもなく考えたのに。
「飼います、俺」
 ひよこよりもっと綺麗な黄色。いや、黄金色。
 その男は妙に真剣に、片方の眼差しを青々と輝かせていったのだ。身を乗り出し、興奮で紅潮した頬に、唇をふるわせて。
「―――ください。俺が、飼いますから!!」

「ゾロォ?」
 不思議そうにエースが首を傾げてる。ああ、こういう仕草はルフィとそっくりだ。ゾロは笑って首をふった。
「いや、なんでもねえ」
「そういや最近サンジの姿見ねェな。バイト忙しいのか?」
「…そう、みたいだな」
「あいつ…言ったら叩きオロされるけど、全体的につくりが華奢だろ。…無茶しねえといいが」
 貧乏生活もあってか、サンジのウエイトは驚くほど軽い。あれで良く強烈な蹴りを放てると思ったら、かなり身体の反動を利用しているらしい。それに元々骨格が細くて、いつかゾロが人間の姿で彼の腕を掴んだとき、あまりの細さに逆に驚いたことがあった。
 言ったら確かに怒る。激怒して容赦なく蹴り殺されるだろう。―――でも、ほんとのところ、サンジの首だとかゾロの片手で折れてしまいそうだとか、思うほどなのだ。
「無茶して反動くると、ぶったおれそうだよなあ」
「―――そうなのか?」
「うん? …ああ…ゾロは頑丈そうだもんな」
 にかりと口角をあげて笑って、エースは心配そうに言う。
「前から思ってたんだが、サンジはとにかく良く動き回って行動力には目ェ見張るほどすげえが、燃費が悪そうで見ててハラハラする。飯は雀の涙ほどしか食わないし、睡眠時間も短ェようだし。
 ゾロ、悪ィがちょいとあいつの様子を見ててやってくれねえか?」
 エースの観察眼に舌を巻きつつ、ゾロは頷く。
「…ああ。注意しておく」
「…あいつ、無理しても言わねェからな」
 そう困ったように、それでも楽しげに笑うエースの目は温かい。そう、それはルフィを見るときも同じような目をして笑っていた。
 ルフィの家族はエースなのだ。
 家族の匂いを知って、沈んでいたはずの興味が浮上した。彼らはどのように会話し、生きるのか。血のつながりより深い信頼は一体どうして得るものなのか。

 興味を抱いたのは、サンジが、サンジが笑って宣言したからだ。
「ていうか、おまえは俺を好きになるぜ?」
 家族になろうと、笑ったのはあの女好きで、バイト魔で、口より先に足の出る乱暴者で、そのくせ料理が凄く美味くて、妙なところで不器用な、笑うと子供みたいになるサンジなのに。
「なんで、おまえは俺を避けるんだ」
 赤くなったり白くなったり、百面相は前からだけど、ここ最近その傾向は強くなった。落ち付きがないし、かといえばぼうっと自分を見ていたりする。この前なんか、大事な大事な銀色の…黒いやつじゃない、銀色のフライパンを焦がして絶叫していた。やつあたりされるかと思い、さっさと逃げ出そうとしたゾロをみて、何だか泣きそうな顔をしていた。
「人間の病気―――か?」
 ゾロもある意味人間ではあるのだけれど、半分イヌなので症状の検討がつかない。子犬のときも人間のときも丈夫で好き嫌いなく育っているため、病気という単語に縁遠いのもある。
「―――なんで、俺に言わねェんだよ」
 憮然と、ゾロは腕を組み、明け方まで玄関を睨みながらサンジの帰宅を待った。
 大人しく、やや不機嫌なままで、それでも主人の帰りを待つ忠義深い子犬は、やがて朝日が上ることうとうとと意識を沈ませて―――頭を撫でる感触に、はっと肩を震わせた。
 頭を振って顔をあげると、玄関のドアがしまる音がした。
「…サンジ?」
 そうやって、すれ違いが一週間ばかり、続いている。


***


「…飯、作ってやりゃよかった、かな」
 デイバッグをズタ袋のように引きずりつつ、電車のホームで溜息をつく。
 まともに話しもしない、顔も合わせない。たまに帰ればサンジはサンジでこんこんと眠り続けてぴくりとも起きないし、ゾロもバイトがあって夕方までいない。
 まともに…話せない。顔が、合わせることができない。
「…二人で飯食うってのも、ねえなあ」
 バイト疲れで朦朧としながら帰宅すると、恐らく自分を待っていたらしい子犬が玄関先で鼻をぴくぴくさせながら寝ていると嬉しさと心地よさで満たされるのに。せめてこいつが起きたら飯ぐらい食わせてやらねえと、なんてキッチンに這いずって、朝食を作って、布団に転がる。
(撫でたいなあ)
 そう思ったのもつかの間―――意識は睡魔に誘われて。
 子犬の姿ならまだいい。人間モードで出迎えられると回れ右したくなる。
 あの真っ直ぐな目で見られると、困るのだ。
「どうして?」とか「なぜ?」とか。初めてあった当初のように、たくさんのことを質問して、学習しようとする真摯な―――同じ目で問われると答えに窮する。
「なぜ家にいない?」
「どうしてそんなにバイトをする?」
 生活が苦しいだとか、大学が忙しいだとか、そんなのは突然すぎて理由にならない。
 じゃあ、とあのクソ生意気な、妙に頭のよい子犬は提案するだろう。居候は御免だし、俺も働けるからお前は学校に集中しろ、だとか。
「邪魔にならねえように、エースんとこに世話になってくる」
 なんて言われた日には喚き散らしながら公園にダッシュして、一人ブランコなんか揺らしながら泣いちゃったりして。
(いやいや、やべぇだろ。乙女だろそれ。てかガキじゃねえか!)
 考えただけで鼻の奥がツンとするなんて、相当重症…かも、しれない。
「………髪、硬ェし」
 右手をポケットにつっこんだまま出せないのは、あの緑頭をわしわし触っちゃったからだ。壁に寄りかかるように揺れてる頭を見て、なんだか我慢できなくなって手を伸ばしたせいで、またサンジは悶々とする羽目になる。
「―――どうなってんだよ俺…」
 最近の自分は、ヤバイ、のだ。
 ぶっちゃけたところ、可愛くてたまらない子犬すら抱きしめて頬擦りするのをためらってしまう。子犬が悲鳴をあげて逃げ出すほどのアニマルマニアっぷりが、ここのところなりを潜めているし…やつが、そう、人間の姿になればなおのことだ。
(ヤバイ、ヤバイ、やばすぎる。特に―――心拍数が)
 聴覚の発達した獣の耳と、鋭い感覚で悟られてしまうのが怖い。怯える、のとは違う。多分この感情は、畏れるというのだ。
 これは病気なんじゃないか、って思うほど心臓がどんどこよいやさ阿波踊りなのだ。病気ひとつしたことない、が、過労くらいなら体験しちゃったかも……ぼちぼち健康なサンジがビビったのはまずそれで、病気となると入院費やらなにやらお金がかかるし、なにより小生意気な愛犬に逢えなくなるじゃないか!と想像したところで胸がぎゅうぎゅう痛んで驚き焦った。
「倒れるわけにゃあいかねェッ!」
 だけどこのまま病院に行って、検査だとか入院だとか言われたら困ってしまう。
「……んっ。気合で治すッ」
 どうせ心臓がドキドキして、頭だとか、耳たぶだとか、鼻の頭だとかがカッカして、指先がキーンと痛くなるだけだ。…多分、たいした病気じゃない。
「…気合で、治す」
 本当は多分目をそらしているだけだ。
 エースやナミに相談できないのはもしかしたらと思いつつも完全に無視している、思考の片隅の『原因追求』。
「………ンなはず、ねえんだ。絶対絶対、なんかの間違いなんだからよ」
 バイトの合間に一口ふたくちしか食べない、申し分程度の食事の味気なさだとか。
 最初は自分が作ってないせいだとか理由を作っては文句を言っていたけれど、美味しいと有名なあんぱんを貰って齧っても、ぱさぱさと口に残るだけで甘さの控えめな、練り上げた餡のうまさだとかに料理人魂がちっとも反応しない。
 犬の鳴き声や吼える声を聞いてはハッと顔をあげて、愕然とすることだとか。
 文句をいいたげな琥珀の眼差しで、それでも弁当や傘を持ってきて忠犬ハチ公よろしく、ちょんと駅前におすわりして待っていたゾロを思うと、なんでだか、やっぱり…ぎゅ、と胸が伸縮するのだ。
「―――どうしよう」
 今更突き放すことなんて出来ない。そんなことしたら、サンジは自分を許せなくなる。
 サンジがゾロを―――すべてに対して達観した、平等な、無関心な子犬を、自分の世界に引きずり込んだ。「ハウス!」なんて言って戻ってこいと手招いたのも自分、家族だって言い切ったのも自分。
「……。メシ、作ってやりてーなあ」
 普段は無愛想でうんともすんとも言わない鉄面皮が、飯と酒を嗜むときだけ少しほころんで嬉しそうにするのだ。目に見えない尻尾がしたぱたしているのが見えるような気がするくらい。
「―――クソ美味いって言わせてえなあ…」
 ゾロの小気味良いほどの食いっぷりを見たいのに、子犬に寄り添って思いきり爆睡したいのに。
 電車で二駅ぶんの距離、今ゾロとサンジは離れていて。
 そろそろ起きたろうか。散歩でもしてるんだろうか。うちの犬は可愛いし人気者だから。きっと綺麗なお姉さんに声をかけられて食事でも貰ってるんだろう。犬モードでか、人間モードでかはわからないけど。犬でも人間でもモテるなんて詐欺だ。決闘だ。
 多分、ゾロはたくさんの可能性を持っているんだ。
 自分は人間でも犬でもない存在だと低く言うゾロは受け入れられないと思っている。
「……―――な」
 電車を降りて暫くホームに佇み、灰色のコンクリをにらみつけていた。目の前に売店がうつり、もう一度灰色がうつったとき世界が反転していた。

『サンジ』

 声が、聞こえた気がした。


***


 低い音。柔らかな音。特別上手いわけでもない。稚拙な音。だけど特別耳に残る音。
 太鼓の音が、花火の音が心臓にどーんと直接響いて、まさに身体中で音を感じてみるように、ゾロの吼え方はぐんと身体に入ってきて、共鳴する。どーんどーんと響いて心地よい。
(滅多に吼えなかったけどな)
 くんくん鳴きもせず、わんわん吼えもせず。まったく犬らしくない犬で、ところでお前ってマーキングするの?って聞いたときはふいっと顔をそらしてしまった。
 でも今の吼え方は悲しそうだ。
 ひどく悲しそうだ。
(泣くなよ、いや、ふてぶてしいてめェのこった、泣いてなんかいねえんだろーけど)
 でもそんな寂しい吼え方を聞くのはイヤだ。
「……あ?」
「サンジ―――!」
「どわっ!!!! なんっ………ルフィ?」
「おうっ! おれだっ!!」
 にっしっしと笑ってルフィは何を考えてるんだかわからない笑顔で頷く。
「なあ、これ何に見える」
「指だろがボケ」
「あー、よかった!」
 Vサインを突き出しつつ、とりあえず目は見えてるみてーだしいいか、なんて適当なことをルフィは言っている。飽きれて視線をずらすと見覚えのある部屋で、
「……俺ンちか?」
「そうだ! 途中までエースがいたんだけど、エースは単位がヤバいから大学戻った。俺は一限だけサボってゾロが帰ってきたら戻る!」
 要領を得ないルフィの喋り方はいつものことで、サンジは思考を巡らし、
「…もしかして、俺。―――駅で倒れたりした、か?」
「うん。ぶっ倒れてるところをエースがみっけて、俺にサンジをサンジんちの駅まで引きずってけって。そのあとゾロに電話して迎えにきてもらった。いまゾロは薬局にいってるぞ」
「薬局…?」
「サンジ、気づかねェか?」
 ひょいとルフィは布団をめくって、サンジの身体を指差す。
「ここと、ここと―――あと頭と! 頭はすげえコブになってるし、あといくつか痣になってる。ゾロはええと…湿布と熱さましと、あと氷とおやつ買いにいったんだ」
 ちなみにおやつは俺のお駄賃だ!と、悪びれもせず…むしろどこか嬉しそうにルフィが言うものだからサンジは脱力して枕に顔をうずめた。
「ああ、そーかよ…で、てめェの単位は大丈夫なのか?」
「ははははは! 面白いこと言うな、お前!」
「……笑ってる場合か! てめェもヤバいんだろが! とっととガッコ戻りやがれっ!」
「そだな、お帰りゾロ!!」
 やけにあっさり立ちあがったと思ったら、どうやらルフィはゾロの気配を察知していたらしい。にこにこと玄関先に向かって嬉しげに手をふり、入れ替わるようにしてドアに向かう。
「おやつは!? おやつおやつ〜!」
「ああ。これ」
「しししっ。一限サボって良かった! あっ、でもサンジ。あんま無茶すんじゃねえぞ。無茶したらサンジ簀巻きにして病院放り込むからな! って、エースが言ってたぞ」
「エースにもよろしく言っておいてくれ。悪かったな」
 低い声がサンジの後ろで響いて、そうルフィに言っている。突然鼓動がどんどこよさほいねぶた祭りになる。脈拍を測るのに指をあてるのも測量機もいらないくらい、心臓はいやに直接的だった。
「サンジ、元気になったらまたおやつ作ってくれ!」
 そういいながらルフィが飛び出していった後は、完全にのっそりとした男の気配と自分だけで、あたふたしているとゾロはひょいと顔を覗きこみ、そのままサンジの肩を軽く押した。
「いいから寝てろ」
「い―――医者には行ってねえよな?」
「お前がモウロウとしながら俺の背中で「ビョウインはイヤだ」だとか「イシャはカンベン」とか言うし、仕方ねえからとりあえずうちに連れてきて寝かしておいた」
「そうか、お前の背中で―――はっ!?」
「駅からお前をおぶさって運んだのはおれだ。まさかルフィに引きずられて連れてきて欲しかったのか?」
「……うっ」
 正直なところ、引きずられるよりやっぱりちゃんと運んでいただきたいものだ。
(―――意識なくって、よかった)
 だって、もし意識があって……例えばゾロの背中で目覚めたりなんかしちゃったら、ゾロの心音を直接耳で聞く羽目になる。獣独特というか、ゾロ特有というか、子供みたいに高い体温にそのまま触れることになる。
「ねぶた祭りと阿波踊りと浅草サンバカーニバルがいっぺんにやってくるようなもんじゃねえか!」
 そうしたらサンジの繊細な心臓は爆発してぶっ壊れてしまうかもしれない。
「―――あわ? …さば? かに?」
「あーっ。なん、な、なん。ななななんでもねえッ!」
 不思議そうに首を傾げるゾロをまじまじ見つめて、やっぱりこぼれるのは溜息だ。
 心臓が痛くて、頭がぼうっとして、喉ががらがらで。いいことない症状が立て続けに起こるものの、この空気に安堵している自分がいる。
(こいつがアニマルでわんこだからだ―――)
 動物のぬくもり。やさしさ。ふこふこで、目がきらきらしていて。息遣いも、早めの鼓動も、あっというまに固くなってしまった肉球も。打算もなにも存在しない、綺麗な目で見上げてくるから、サンジは動物の中でも特別犬という存在が好きなのだ。
(…でも。喋らなかったら、きっとつまんなかったよな)
 レポートの作業を邪魔してあれはなんだこれはなんだと質問してきたし。
 ブラッシングを嫌がるし。
 リードをつけたときなんか物凄い抵抗されたし。
 躾の時はあまりの突飛な行動に出て度肝をぬかされたし。
 台所の冷たい床が好きでよくおなかをぴとっとつけて寝ているし。
 犬の姿では夜、人間の姿では昼の散歩が日課だし。
 煎餅と緑茶と日本酒と、ほねっことおにぎりの好きな、変わった犬だし。
 スーパーに行くときは渋面になるものの、ついてこいと言わなくても立ちあがって下駄を履くようになったし。
 キムチを食べたときはきっかり30秒硬直して、ふしぎな味がすると何度も舌に指を突っ込んでいたし。
「へひゃ」
「おい、涙目になってるぞ。具合悪いのか?」
 じわ〜んとなっていたサンジに対し、ゾロはぺちぺちと頬を叩く。
「働き過ぎなんだよ、アホ」
 ほら、見ろとゾロはサンジの腕を掴んで…文字通り掴んで見せて、
「そんなに力いれなくっても折れるぞ、これ。こんながりがりになりやがって。俺の飯を作る暇があったら、ちゃんと自分の飯を作って食え」
「……」
「返事は?」
 撫でるとき、ご飯を食べるとき、出かけるとき。
 そうだ、ルールを決めたのサンジ自身だった。
「挨拶と返事ができねえやつは駄目だっ!」
 そんなことを生意気な口調でいうと、しげしげとサンジを眺めた琥珀のまなざしがこくっと頷いたのだ。―――ゾロは、ちゃんとサンジの言葉を聞いている。
「返事は?」
「―――はい」
 再度促されてサンジはそのままぱたんと枕に頭を落下させた。
「おま…お前、バイトは?」
「休んだ」
 サンジの肘に湿布を張りつけながら、淡々とゾロは言う。
「多分、怪我したのと、今までの疲れで熱が出るぞ。痛くて眠れなくなるかもしれねえから、今のうちに思いきり寝ちまえ」
「―――おまえみてーに、うまく、眠れるかよ」
 少しゾロは考え、唇を微かに開き、喉を震わせた。
「…へ?」
 旋律はゾロの喉から発されている。声ではない。歌、とも違う気がする。どちらかというと鼻歌に似ているが、ゆっくりとしたリズムで刻まれる「音」は、そうだ。ゾロの吼え方、鳴き声、唸り声に似通っている。
 人間には出せない音域の旋律を刻みながら、ゾロの手がサンジの頭を撫でる。
「子守唄…」
「コモリウタ?」
 逆にふしぎそうに目をぱちくりさせて、心地よい音の脈動が止まる。
 やめるな、と舌足らずな口で言って、沈殿しかける意識をしっかり繋ぎとめてサンジはやっと、ゾロを真っ直ぐに見つめた。
「花火と祭り太鼓とクラシック、いっぺんに聞いてるみてえで気持ち良い。続けろ」
「―――よくわからねえが、わかった」
 喉の奥で笑うのも、ゾロ独特の音だと思う。

(飯を作ってやろう)
 そして一緒に食べよう。無駄にどきどきしたあれが、今は何だかどうでもいいような―――いや、すっかり馴染んでしまって気にもならない。
(仕方ねえんだ、ゾロってやつは面白すぎるんだから)
 だって犬だし。時々人間だし。
(なんだ―――平気じゃねえか)

 ゾロの側に居ても、堂々としていられる。情け無くもなれる。しゃんとした、背筋を伸ばせる。
 自信を持って、言える。
「おまえが、犬でよかった」
「…」
 妙なところで忠実なゾロは音を紡ぎながら目でそれを聞く。
「―――んで、おまえが、人間でよかった。
 どっちにもなれて、よかった…」

 たったかたったか忙しないリズムより、随分心地よい音に包まれて、サンジはこてんと意識を失った。
 エースに懐こうが、それはそれでいいじゃないかと思う。エースは凄いイイヤツだし、ゾロもきっと自分以外でなく広い世界に立つことができる。サンジと同じものをみて、感想を抱ける。
 ただ、あと少しだけ可愛い子犬でいてほしい。そう思うのだけ、サンジのわがままかもしれないかと―――そんなふうに夢の中で、思った。


***


「―――ったく。しょうがねえなあ」
 綺麗な風に眠りに落ちて行くサンジを見つめて、暫くしてゾロにも眠気が落ちてきた。
「…お前が眠れねえと、俺も眠れねえじゃねえか」
 犬の時の習性なのか、すぐさまサンジの様子のおかしさに気づいて落ち付かなくなる。同調してしまうような感じ。
「………。コモリ、ウタっつってたっけか…」
 あんな声を出せるなんて自分でも驚いたのだけれど。
 サンジは気づかなかったろうか。あの響きは…悲しげに鼻を鳴らすときの響きに酷似している。
 喉を震わせて驚いた。ある意味、愕然とした、といったほうが近しいかもしれない。

「居なくなるな」
「動かなくなるな」
「鼓動を休めるな」
「呼吸を止めるな」

 この響きは身体の奥の奥の、腹の底に根付いたもの。
 悲しいにも似ている。切ないにも似ている。

「復活しろ」
「再生しろ」
「回復しろ」
「…いまは、眠れ」

 その響きをゾロは、知っている。

「お前は、おれを犬で…人間で、どっちにもなれて良かった、と」
 そう言ってくれたけれど。
 今までも思いもしなかった疑問が急浮上する。

「―――俺は誰、なんだ?」
 知らない音。響き。喉の使い方。その意味。
「…いや、違う。俺は―――何、なんだ…」

 わからないけれど―――呑気な主人の寝顔を見て溜息をついた。考えても仕方がない。
「何悩んでんだかは知らねェが、心配すんな。てめえには、俺がついててやる」
 わしわしと金髪を撫でて隣に寝転がり、大きな欠伸を一つして、
「―――寝るか」
 大きな犬はごろんと転がった。


折り返し地点到達気分。
◎乙女回路はおさまったけど子犬がふしぎ事件なのよの回。
◎無意識ナチュラブまではいくのですが、真のラブラブまでは程遠い一人と一匹です。
◎当初シュミ丸だしの投げ捨て文だったはずのわんこが、思いの他皆様に気に入っていただけて…(照)本当はこの回か、05の時点で(曖昧なまま!)終わってしまおか、と思っていたのですが続けることになりました。連載になるというのも想像だにしていなかったことなので嬉しいです。うへへへ〜。
◎以降、Ar.NORIKO様のリクエストも踏まえた「果たして犬とご主人さまはラブラブになるか!?」と根っこにまったりペースで書いていきます。
◎次回はサンジ男らしく復活(直前)と妙な技を習得したわんこの前に、エースに引き続きニュウキャラクタが顔を出しそうです。
◎どのくらい続くか目途もたっていない「犬」シリーズですが、御暇なときにでも見てやってくださいね。少しでも楽しんでいただければこれにまさるものは無し!です!
わんわん!

02/09/01
05a(前編) 05b(後編) Next07a(前編)

Return?

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送