★ 犬も歩けば。 ★
犬。2.5


「やべえッ! ち、遅刻だあっ!」
 頭を掻き毟りつつ狭い部屋を右往左往する主人を片目だけ、ぱちりと開けて見つめたゾロは、尻尾を踏まれてはかなわない、と隅っこのほうに移動した。
 金髪に寝癖をつけたまま、必死に準備をするゾロの主人の名を、サンジという。
 無理矢理聞かされた話によれば、サンジは何とかという“だいがく”に通う“がくせい”らしい。
(大学…学生、だな)
 ゾロは頭の良い子犬だから、テレビや人が話したことをちゃんと覚えている。
 生憎それでサンジに褒められたことはないが、まあ、一応主人の言ってることぐらい理解しとくか、という感じで覚えているあたり…ゾロも律儀だったりするわけだ。
 親元からの援助は全くない、に等しいらしく……本当は大学などに入らずそのまま調理師免許を取得して、家業を継ぐはずだったのを無理言って進学希望したらしい……夜遅くまで働いて、朝は早い。
 自分でなんとかする、と言い切ったサンジだが、決して実家と仲が悪いわけではないようで…時折宅配便で野菜や、果物、缶詰、珍しい調味料や米や、本などが送られてきたりもする。
「これでメシが食える〜! よかったな、ゾロォ!」
 そうやって嬉しそうに抱きついてくるサンジの鼻っ柱をうっとおしい、と肉球パンチをかますゾロも、バイトと学業で痩せていくサンジを見るのは忍びなかったから家族は大事なのだな、と思うのだ。
「ゾロ、此処に昼飯置いとくからなっ!」
 ゾロ以上に律儀なサンジは、とにかく弁当は自分で作るし(節約のためだ)一日の大半を一匹で過ごす事になる子犬が心配で心配でしょうがないらしく、ちゃんとこうしてメシは作っていってくれるし、空いた時間には電話をかけてくる。
「…行ってきます!」
 尻尾を右に左に振って返事すると、満足する返答ではないと感じたのか、一度履いたスニーカーを蹴っ飛ばして、ばたばたとサンジは駆け寄ってくる。
「いってきますっ!!」
「…がう」
 とっても面倒くさいとも思ったのだが、遅刻しそうになってまでもスキンシップを重視するサンジは、有る意味凄い。
「うわーん! ゾロ〜! 行きたくねえよう! おまえと一日ごろごろしてたいよう!」
(アホだな)
 自分をしっかと抱きしめてそんなことを叫ぶサンジの顎を鼻でドツいて、さっさと行けと足を押すと、はっと我に返ったように立ちあがった主人は奇声を発しながら飛び出していった。
「ぬがー! 電車よ、止まれ〜!」
(いや、無理だろ)
 冷静なツッコミを心の中で入れつつ、ゾロはドアノブにつるしてある紐を口にくわえて引っ張った。

 さて、今日も一日、ゾロはお留守番なのである。

***

AM10:00
 サンジが飛び出していって二時間、三時間経過したろうか。
 二度寝に入っていたゾロはむくりと起きあがり、くああと大きな欠伸をして、後ろ足で首元を掻いた。今日はお天気がいい。
 こういう日は散歩するのが一番だ。そう思ってゾロは立ちあがった。
「うっし、行くか」
 二本足で立つのと、四本足で歩くのと、違和感はないのかとサンジに聞かれたことがあるが…犬人間もとい人狼のゾロには「さあ?」としか答えようがない。
 組織が組み変わるとでもいえばいいのか、例えば犬のときは尻尾は尻尾でしかない、自由に自分で動かせたり、機嫌で無意識に動いたりするもので、人間のときは手足を上手く使えるようになる。
 犬と人間では意識が切り離されていて、まあそんなものなんだろうとゾロは思うわけだ。

 最初、ゾロは酷く嫌がったのだが…サンジのつけた緑の首輪だけ、ごろんと首に絡んでいる。
「うげ、苦し…」
 慌てて外してテーブルの上に放り投げ、ぼきぼきと肩を鳴らす。
 今まで忘れたことはないが、首輪をつけたまま出歩く人間はいない、というのがゾロの見解だった。“ちょーかー”と呼ばれたり、“ねっくれす”なるものをつけてる連中もいたが、立派なごつごつとした首輪をつけている人間はいまのところ、ゾロは見たことがない。
 犬の時以上に、人間モードだと首に絡む感触がどうにも気持ち悪くて、結局つける気も起きないのだけれど。

 ドアを開けると眠そうな顔のヨサクが家の前を箒で掃いている。
「よう、ヨサク」
「あっ! ゾロのアニキィ!」
 ゾロが少し前に、ヨサクの家に入った空き巣を叩きのめしてから、彼は随分とゾロに心酔していて、なぜだか『アニキ』呼ばわりしてくる。
「え!? ゾロのアニキっ!?」
 声を聞きつけてヨサクの相方であるジョニーが顔を出す。「あ、ほんとだ!アニキ、おはようございますっ!」
「ああ、おはよう」
 ヨサクとジョニーは売れない“まんざいし”というやつらしく、一方はコンビニバイト、一方はピザの配達で日銭を稼いでいるらしい。時々薄い壁の向こうから珍妙な会話とツッコミ音が聞こえてくるから、その練習をしているのだろう。
 ヨサクとジョニーは芸人を目指しているだけあって、剽軽で面白い。サンジがいない間にいろんなことを教わった。…といっても、麻雀やくだらない話などだったが。
「アニキ、また麻雀しましょうねェ!」
「前回は紙一重で負けたけど、今度は負けやしませんぜ!」
「初心者にムキになるなよ」
「いやあ、さすがアニキはお強いですよ! 飲みこみも早いし…」
「さっすが、ゾロのアニキぃ!」
 声を合わせて、ゾロを褒めちぎる連中はすこぶる変わっているが、やっぱり面白いやつらだと思う。
「じゃあ、またな」
 ゾロが薄く笑って片手をあげると、ヨサクとジョニーはきゅっと親指を立てて、
「お気をつけて!!!」
 と男らしく合唱した。

AM11:15
 商店街をうろつくのはこれがはじめてではない。
 犬の姿でも人間の姿でも、散歩がてらふらふらと歩いているのだが…なかなかどうして、面白いものなのだ。
 肉屋のおばちゃんは気風が良くて、たぷんとした二の腕が立派だ。
 犬の姿のゾロが立ち寄ると、コロッケやときどきから揚げをくれる。旦那である御主人は気の毒に、犬アレルギーらしくゾロが近寄るとくしゃみを連発するが、おばちゃんに「なんだい、情け無い!」と背中をぶっとばされて、ゾロに情け無く笑ってみせる人のいいご主人だ。
 大工の棟梁は捩り鉢巻きをして、まるで地響きのような怒鳴り声をあげて若いのを引っ張っている。
 人間の姿である日、新人らがひいふう言いながら抱えていた材木が地面に落ちそうになったところをひょいと担ぎ上げて…つまり手助けしたことで、妙に気に入られてしまい、その日から『緑頭の若いの』と呼ばれている。
 頑固で威勢の良い棟梁に気に入られた若いの、と認識されているらしく、風貌のごついのや荒々しいのから挨拶をされて一瞬「喧嘩はしてねえはずだが」とか首を傾げてしまったこともある。

「事故だ〜ッ」
 通りも最終地点、商店街を抜けた交差点に向かう途中であがった叫び声に振り向くと、トラックが横倒しになって乗用車がガードレールに突っ込んでいる。
「お父さん…お父さん!」
 泣きながら黒髪の少女が叫んでいて、不穏な空気にゾロもそちらへ急いだ。
「酒屋の旦那が下敷きになってる!」
「男手を呼んでこい!」
 髭面に深々と帽子を被ったその男は見事に荷台の下に挟まれていて、完全に上半身を圧迫された状態…(破裂しちまうじゃねえか!)
「おい、どいてくれ!」
 人々が騒ぐ中を滑るように通りぬけて、ゾロは気合を入れた。
「―――ふっ!」

 軽トラックとは言え、中身の詰まったダンボールや箱を積み上げたそれを軽がる持ち上げる若者を、周囲の人間は一瞬呆然と見つめ、ふと我に返って慌てて男を地面から引きずり出した。
「大丈夫か、旦那!」

(あ。やべえ)
 ゾロが早々に立ち去ろうとしたそのとき…しかし親しみ溢れる商店街の結束は固く、逃げる間もなくゾロは人々に囲まれた。
「若ェの、やるなあ!」
「よくやったぞォ!」
「凄いわ!」

 サンジが知らない間に一躍、御町内ヒーローになってしまったゾロである。

***

AM11:50
 一方サンジはデイバッグをさぐって、あ、とフリーズした。
「…弁当忘れた…」
 朝のどたばたで、折角作ったサンジ自慢の特製弁当が、
 ない。

 昼休みから次の時限までまだ時間がある…が、とりに行く気は毛頭ない。
「財布も軽いぜ…」
 見ればレシートと、なにかの割引チケットと、レンタルビデオ屋の会員証、そしてなけなしの50円。
 あたりを見まわすがウソップの姿がなく(そういえばこの前の時間からいなかった)ルフィがぼりぼりとクッキーを噛んでいるのが見えたが、奴に金を借りようにも絶対に持っていないだろうし、クッキーをよこせなんていったら大暴れするだろう。奴は意地汚いのだ。
 ああ、隣にはサンジのマドンナであるナミがいる。ルフィにノートを貸していたらしく「こんなに汚して!」と可愛らしい澄んだ声で怒鳴っているのがまた魅力的。
 しかし彼女から何かを借りるということは、悪魔に魂を売るよりタチが悪いし何よりレディに借りを作りたくないという変なプライドが邪魔して、結局諦めて手足を投げ出した。
(ゾロに持ってこさせようか?)

 いやいやしかし、あの緑頭がやってきたらナミ達になんと説明しよう。鉢合わせを考えると怖くて携帯を思わず隠すようにしまってしまう。

「クソー。俺としたことがぬかったぜ」

 今ごろ、サンジの愛犬は家でメシ食ってるんだろうか。
 そう思うとムカついたりかいぐりかいぐりしたくなったりと反する衝動に一挙に駆られて、サンジはう〜うう〜と唸って隣の席にいた連中をビビらせることに成功した。

***

PM12:00
 ゾロは方向音痴らしい。
 らしい、というのはつい最近知ったからである。
 犬モードだと“きせいほんのう”…帰省本能、と書くらしいそれが働くようで、なんてことない家にすぐ辿りつけるのだが、人間モードで出歩くときは要注意しなければ、とゾロは思った。

 なんてことない、迷っていたのである。
 かなり迷っていたのである。

 自宅のアパートから10分もかからない商店街から、アパートに戻るまで、かなり苦労して戻ってきてしまい(結局二度も商店街に戻ってきてしまった。何故だろう)…仕方ないので最後は犬になって歩いてきた。
 救急車に酒屋の主人を乗せ、急いでいるからと慌てて逃げ出そうとしたら、主人の娘…たしぎとかいう少女にひどく感謝されてしまい、結局また来るから、ということになってしまった。
 お礼をしたい、家を教えてくれといわれて、
「いや、俺の主人の許可がねえと」
 とか口走ってしまったのもある。

 サンジにしこたま怒られるのは、撫でまわされてぎゅーっをされるくらいにイヤだなあ、と思うことなので、なんとか説得して帰って来て…ゾロはそれをぽかんと眺めた。
「…?」
 テーブルの上に、布に包まれた弁当箱が二つ。
「なんで二つあるんだよ」
 サンジはいつも、自分の分とゾロの分を作る。犬のゾロにはドッグフードがあるのだけれど、人間に折角なれるのだし、俺の旨いメシを食ったほうが絶対大きくなれる!というのがサンジの持論で、それに関してはゾロは意義がなかった―――つまり、サンジの飯はおいしいのである。
「―――忘れたのか?」
 だって昨日はガスの集金で、それにゾロが人間の時に着れるようにとTシャツやカーゴパンツも買ってしまったから(勿論ディスカウントのものだけれど。それにサンジのものではサイズがあわない、ゾロのほうががたいがいいのだ)サンジの財布の中身はすっからかんのはずだ。
「…はー。どうすっかなあ」
 二つの箱を眺めて、迷ったのは数秒というところか。
「…人間ンときだと、確実に迷うな」
 行ったことねえし。
「んじゃ、犬で行くか」
 仕方がないと覚悟を決めて、ゾロは立ちあがった。

***

PM13:05
 サンジは信じられないものをキャンパス内で見る羽目になった。
「…ぞっ!」
「きゃー!可愛い、この子犬〜!」
「すごい、目が綺麗な金色!」
「いやーん、食べちゃいたい〜!」
 綺麗な彼女たちに囲まれて、途方にくれたように弁当の包みを咥えているのは、間違いなくサンジの飼い犬である。
「ゾロっ!」
 慌ててサンジが駆けつけると、ゾロは「やっときたか」とばかりにくりくりした目を上目遣いにして、サンジを見上げた。「くぅん」
「えー、この子、サンジさんのワンちゃん?」
「そうなんですよ、ミス・ヴァレンタイン!」
「すごーく可愛いね。撫でてもいーい?」
「勿論です、ミス・ゴールデンウィーク!」
 調子よく答えるサンジを恨めしげに一瞬、ゾロが見つめる。
「ああ、でもレディたち。どうか教授達にはキャンパスにこいつが入ったことは御内密に」
「わかったわ!」

 ひとしきりゾロを撫でまわした彼女達は満足そうに微笑んで歩き去る。
「………よう、ご苦労さん」
「がう」
「わかってるよ、機嫌直せって! …とどけてくれたんじゃねえの? それ」
「………」
「マジ嬉しいって。嬉し過ぎて俺このままだと我を忘れててめえに飛び掛ってかいぐりかいぐりしてキッスしまくりたいのを、こう、引き千切れそうな理性で耐えてるんだってば。オーライ?」
 イヤそうな顔をした子犬の頭を撫でて、サンジはおいでと指を鳴らした。
「お前が見つかると色々マズいからな。中庭の秘密の場所に案内してやるよ」
 嬉しそうに笑うサンジの表情をじいと眺めて、ゾロはサンジの後ろをとことこと歩き出す。
(ヤバイ、嬉しい)
 はっきり言って冗談じゃなく、嬉しかったりするのだ。
 特に、この無愛想で可愛げない子犬がこんな忠犬めいたことされちゃうと、サンジのアニマルフェチ神経を痛烈に突き抜けちゃうわけで、嬉しくて仕方がない。
 嬉しいので中庭で思いっきり抱きしめてごろごろ引きずりまわそうと、サンジはゾロにとってはひたすら迷惑なことを誓った。


***

PM13:20
 殺されるかと思うまでの情熱的な抱擁に耐えかねて人間の姿になると、抱きしめていたふこふこが、ごつごつ、に変わったのを感じてサンジが絶叫しかけたのを、また慌てて抑える。
「なんだよ、何か文句あんのか?」
 大学の場所は知らなかったが、なんとなく地理は聞いたことがあったし、まあ犬なんだからサンジの匂いを辿っていけばいいやなんて気楽に歩いて本当に辿り付いてしまったのはなかなか奇跡かもしれない。
 ただ門をくぐる際、犬のほうがいいのか人間のほうがいいのかで凄く迷った。
 迷ったけれど、まあ犬のままでいいやと入ってきたら…化粧や香水の匂いが凄い女たちに囲まれて意識がぶっとぶかと思った。
 鼻が利くのも困りものである。

「腹減ってたから助かったぜ!……って、おまえの分は?」
「あ」
 忘れてきた。と同時にゾロの腹がなる。
「食ってきて…ねえの?」
 サンジがぽかんとした顔が妙に子供っぽくって、ゾロはふいっと顔をそらす。
「なんだよ、悪ィのか」
「わるかねえよ!!悪いのは俺だよ!!クソ…!なんで…なんで人間ゾロなんかに…クソ…」
 何だか気持ち悪いことをぶつぶつ言い出したので、ゾロは怪訝な眼差しで飼い主を見た。
 アニマルマニアの彼は時々こうして意識をぶっ飛ばすから、半アニマルなゾロとしては警戒しなければならないのである。
「仕方ねえな。ほれ、半分食え」
 弁当の蓋に、どうみても半分以上のそれを盛ってもらい、ゾロは有り難くいただくことにした。
「男と弁当を半分こ―――うぅ、寒ィ…」
 ぶつくさ言いながら弁当をかっ込むサンジの頬は赤い。

(来てよかったのかもな)
 そう思ってゾロは内心で笑い、そのちょっと足りない量の弁当を食べ始めた。
 たまにはこういう一日もアリかと、思うわけなのだ。


■犬がきました。2.5話です。
■3話と言ってもいいかなあと思ったのですが、ちょっと形式が違うので2.5。
■一部極少数の方々に御贔屓していただいている犬ですが(笑)今回はちょっとわんこゾロを中心にいってみました。
■ちなみに大学までは電車を使ってサンジは通学していますが、ロロは元気な子犬なので歩きました(笑)
■犬なほうがゾロサンほんのりラブだなんてどういうことよ?!とか自分に叫びつつ。
■お付き合いありがとうございました…(ばたーん)

02/05/16
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