★ Holy Night,Hold me Knight?。 ★
〜犬がきました 09.5〜



 あれから浴室をまともに見れなくなった。
 それもこれもあの駄犬のせいだ。
 狭くて古くて、下町の懐かしい感じを呼び起こすような、使い勝手の悪い風呂釜、デザインがひと昔前のタイル。
 いやあ実はおれ、風呂場で飼い犬にマウンティングされちゃったんですよ〜。
 ―――人間の男の姿で。
「あぁぁぁ―――ッ!」
 恥ずかしさのあまり海に飛び込んでしまいたい。真冬の海はさぞかし冷たいだろう。この過剰な意識も保った熱も放出してしまえるかもしれない―――と。
 やや切羽詰った様子でサンジは肩を落とすのだ。

 仕方がないから銭湯に行くことにして、初めて見るでかい浴場にゾロは感心したようにやや目を丸くし…物を知らない子犬を連れているとサンジはだんだん居た堪れない思いに駆られ出すのだ。
 サンジの愛しの子犬としては、はじめての発情期を迎え多いに戸惑ったことだろう。突然多大なストレスを食らった状態に陥り、さしものふてぶてしい狼犬もしかめっ面を隠さなかった。
 結局、自分だけではないか。ゾロはあの後「なんか変な感じ」はもう収まったらしく、飄々としているし、無駄に意識して―――ゾロの大きなてのひらだとか、力強い腕だとか、自分を舐めた口元だとか、そういうのが直視できないでいるのは、単に―――
(そう、おれが勝手に)
 勝手に、過剰反応しているだけの話。
「おれァもうだめだめだぁ〜」
 自分のフェチっぷりに自覚はあったけれども、これほど重症になるなんて!
「なんでこんなに――――――可愛いのかよぉぉぉっ!」
 思わずコブシをつけて歌ってしまうくらい、そう、やっぱり『ロロ』が可愛い。…ついでに、ちょっとだけ、ちょっとだけゾロも可愛い。
 動揺のあまり、年末年始は散々だった…金融関連のCMに出ている愛らしいチワワで心を潤すしか、この傷付いたハートを癒す術はねえぜ、とか真面目に考えてしまうくらい、恐ろしくいろんなことをしでかしてしまった気がする。
(余談ではあるが、チワワのCMを見ていたサンジは、隣にいた犬人間にチワワの鳴き声の翻訳をされて逆ギレしかけた。つまりは、夢ぶちこわしの内容だったことだけ触れておこう)
 クリスマスの時期は実家のレストランが稼ぎ時もピーク、猫の手も借りたいくらい忙しいことぐらい知っていたはずなのに、すっかり忘れてしまってあとから祖父にお叱りの電話をいただいてしまった。
 この日ばかりは絶対に出ないといけない…といった授業もうっかり遅刻してそれまでの苦労が水の泡になったり、バイト先では重要な発注書類を間違えて「あなた、顔色悪いんじゃなくって? 無理しちゃ駄目よ」と上司にあたる麗しのレディに、つまりは「しばらく来るな」と言い渡されてしまうし。
「ロビンちゃんに逢うためだけにあのバイトに行ってたのに〜! 酷すぎるぅぅぅ〜!」
 なにが、なにが、なにが!
 一体なにが悲しくてクリスマスや正月に、女っ気もなくアニマルっ気もないまま、癒し効果を得られぬまま過ごさなければならないのか。
「年越しにうちで麻雀するかぁ?」
 とエースの電話にブチ切れて、
「野郎なんかと麻雀やって年越してたら枯れちまうだろが!」
 と怒鳴ったのも今から考えると後の祭。だって、なんと、信じられないことにエース・ルフィ宅で開かれた年越し麻雀大会には、なんとサンジの女神であるナミまで参加したという。
(ショックでおれもう、立ち直れないかも…)
 まさか、ナミさんが。麻雀大会。いや、クールに牌を投げるナミさんも素敵だ。けれど、なんて失態。
「…ムツゴロウ王国だ。ポチたまスペシャルだ。レンタルでベイブ観るしかねえ!! いや、いっそのことマザー牧場でも行って心を癒すしかねえだろ〜」
 うわぁん、と泣き出しそうに打ちひしがれながら、おせちを作る主人のしょげかえった頭を見て、年末もしっかりバイトおさめしてきた忠犬は土産の日本酒を片手にきょとんとするのである。

「俺はテンコウかもしれねえ」
 真顔で愛犬はそう言った。咄嗟にサンジが思ったのは、
(い、イリュージョン?)
 しかもゾロは漢字で「天狗」と書いてみせてまたサンジを驚かせた。
 正体が天狗、ということは―――
(―――ウソップか!!)
 長い鼻が特徴的な友人を思い出し、鼻が長くなるゾロを想像して慄いた。
「おい、今てめえ変なこと考えたろ」
 子犬は実に不信感溢れる眼差しでサンジを見、飽きれたように感想を吐く。
「そ、そんなことはねえ! そんなことはねえぞ、ゾロ!
 お前がピノキオでもプリンセスの弟子でも、おれのお前への愛は変わらねえからなあ!」
「ぴの…あァ!?」
 鼻の長いイリュージョニストなゾロを想像してしまった。何だか派手だった。思わずサンジは叫び、抱き付こうとして己の吐いた言葉の内容に悲鳴をあげる。「間違えた―――!」
(なん、なんでいつもおれァ…ッ!)
「違う! そう、犬の! おっさん臭さの滲み出る野郎にたいするアレでは全然なくってマイパピィへのフォーエバーラヴっていうか!」
「ああ、ハイハイ。分った分った。いつもの発作だな」
「ひとを病気みたいに言うんじゃねえ!」
 取り敢えず踵落としを食らわせて、
「アンディ・フグの遺志を継ぐ者の闘志を思い知ったか!」
「ふぐ? 料理のことか」
「だーっ! もう、話が通じねえなあ、ちゃんと言葉の勉強してっか、てめえ?」
「…単にお前個人との意思疎通が困難なだけじゃねえかと思うがな」
「あ、今さり気なくムズカシイ言葉使ってみただろー? むきになったろ!? へっへっへ」
「何だ、てめえ」
 凄んでくるゾロの頭をぽしぽしっと叩いて、サンジは機嫌良く笑った。
「可愛いやつめ」
 ふん、とゾロは鼻を鳴らした。
(あ、今おれふつうじゃん)
 ごく自然に、まるで友達に対するみたいに話せた気がする。ものすごく些細なことで安心できる自分も単純だが、サンジは嬉しくなった。むきになって「可愛い」だとか「好きだ」だとか「おれのゾロ!」だとか、否定しなくってもいいのかもしれない。
 だって、ゾロがサンジの犬だってことに変わりはないのだ。
(ちっとばかし、ほら、野性味が強過ぎるんだ。だから突拍子もねえことしでかすんだ)
 ここはパートナーとして寛容な…いや、パートナーってのはマズイ。何だか妙に意識してしまうから、やっぱり飼い主としてってことにしとこう。
(『飼い主として』、心広く愛犬のおいたを見守ってやるのが、義務だよな)
 どれほど図体がでかくとも、謎は多くとも、相手はまだ一歳にも満たない仔わんこなわけである。
「―――おし」
 また勝手に自己完結したらしいサンジを見つめ、ゾロは変な匂いがすると突然身を乗り出した。
「あ? お、おう。鶏肉一羽丸ごと買ってきた。ロースト・チキンにするからよ」
 結局クリスマスは飼い犬にチキンを焼き、正月はおせちにお雑煮、七日過ぎたら七草粥。
 聖夜には気合入れてブッシュ・ド・ノエル。砂糖菓子のサンタさんやトナカイさんまで作っちゃったらもう大変。
 コンビニで目に入ったぽち袋が50円だったものだからなぜかついつい衝動買い、挙句の果てにはそこに犬用の小さいガムを入れて渡していた。不思議そうにゾロは受けとっていたが、サンジが年賀状を郵便受けから取って来る頃には犬の姿になってあむあむ噛んでいた。
 一年は365日で次の年に切り変わることや、年越しには蕎麦を食べること。
 飼い主として得意げに教えたものだが、ここまで懇切丁寧に気合いを入れて行事を(料理を中心に)やってのけるなんて―――バイトが急に減ったから、うっかり時間が出来てしまったから。きっとそうに違いないのだ。

 冬である。
 犬は喜び庭駆け回り、猫はこたつで丸くなる冬なのである。
 サンジはただでさえ寂しがり屋なタイプなのだ。秋や冬、肌寒くなるにつれ人恋しさや動物恋しさが増すというもの!
 D兄弟の家には猫が一匹いるのだが、この季節になると膝上で眠るだけでなく、こっそり布団に潜り込んできて一緒に寝ているらしい。その話を聞くたび、彼らの家に行って猫ちゃん拉致してきたろか、と思ってしまうくらい、

 つまりは、飢えているのかも。

 風呂場を見ると居た堪れなくなる。
 子犬がすぴすぴ幸せそうに昼寝していると、切なさが滲む。
 また子犬が人の姿でのしのし歩き回っていると、恥ずかしさでしゃがみたくなるのだ。
「おれは傷付きやすいタイプだったんだな…クッソ、グラスハートだぜ…」
 じんわり涙が浮かびそうになって慌てて頭を振って溜息をつく理由なんて、たかが知れていることだから。
 スキンシップが出来てない。全然。…元々異常なまでの接触スキーで、ゾロ(犬)を撫でたりハグしたり撫でたりチューしたりすることでアニマルセラピーしてきた身なのに、とうとう子犬の姿でも妙に意識してしまって、伸ばした手を引っ込めたり、動かしたりを繰り返すだけなんて。まるで、初めて異性を意識したロウティーンみたいだ。自分の家の飼い犬相手にこうもぎくしゃくする飼い主がいるだろうか。(…まあ、相手は犬人間なんだけどよ…)
 まあ、以前からこいつはとんでもないことしでかすな、という予測はあったのだ。
 おすわり!と命じて跪き、喜びやうれしさを伝えるためには平気で人間バージョンでも頬や口を舐めてくるようなやつである。
 恥ずかしいし、心臓は早鐘打つし、散々だけど。
(ああいう、間抜けなところも―――実は、イヤじゃなかったりしてな)
 同居人と愛犬を同時に得ることが出来たことだとか。喧嘩しながら、笑い合いながら、色々バカ騒ぎできることだとか。
 何より、サンジだけではないだろう、アニマルフェチならば一度は思うのではないだろうか?
 愛犬の、大好きなパートナーが考えてることを知りたい。

 サンジはいつだって聞けるのだ。
 ゾロの声が。何を考えているか、何を思うか、何を言っているのか、何を伝えたいのか。


 わからないのは、自分の声だけなのに。


***


「明けましておめでとう、ゾロ」
「おお。アケマシテオメデトウ」
「ははっ。何だか気のねェ挨拶だなあ!」
「そうか? そう聞こえたなら悪かったな」
 背中に齧り付いてくるルフィをよしよしと相手してやりながら、ゆったりと笑うエースを見てゾロは言った。
 明けましておめでとうございます、は新年の挨拶なのだそうだ。うっかり「…ありがとうございます?」と返してしまいかねないことに気づいたサンジは、そういう時は同じ言葉を返せと真面目な顔で諭してきたので、ゾロは難無く人間の年中行事の挨拶をもクリアした。
(気ィ抜くといろいろ失敗すっからな)
 そうするとサンジがまたあんぎゃあ〜と怪獣のような奇声を発するわけで。当たられるのはゾロなわけで。
 最近では特に…なんといえばいいのだろう。
(ジョウチョフアンテイ、とかいうやつか。ん? なんとかぶるーだったか。まりっじぶるー、か?)
 口に出したら危険極まりないことを考えながら、しかしゾロはゾロなりに一生懸命考える。
 ごく自然に笑ってたり、くだらないことを話したり、リラックスしてて気持ちが良さそうだな―――となると、やはり犬族としての敏い面が反応してか、ゾロも嬉しくなるのだ。何とも言えなさそうな顔でへこんでいたり、物いいたげに見ているくせに「何だ?」と聞くと慌ててなんでもないと答えられると何だか残念な気持ちになる。
「最近、あいつが変なんだ」
「あいつ? サンジか?」
「そうだ」
『サンジはいっつも変じゃねえか!』
 兄弟揃ってユニゾンで答えられ、うーんとゾロは目を瞑る。
 何だか背中をよじ登ってくるルフィをエースに手渡して、まあ、そりゃそうなんだろうけどよと頷きながらゾロは、
「とにかく落ち付きがねえんだ。何かいい方法ねえか?」
「そうだな。うーん。…サンジが好きなことしてやりゃあいいんじゃねえかなあ」
 至極エースはまともなことを言い、エースよじ登ってもつまんねえよ〜と暴言を吐いた弟は、かばんの中から食パンを取り出しむしゃむしゃし始めた。そして不意に視線をあげ、
「でも、サンジはきっと喜ぶと思うぞ。あいつが好きなことしてやればいいんだ!」
 ゾロはやっぱり、一生懸命考えた挙句に。


***


「―――な、ん、で、す、か」
「いや、だから。今日は「ご主人様に御奉仕」デーだ」
(頑張れ! おれ!!)
 サンジは泣きそうになりながら自分を励ました。
(泣いちゃだめだ! 頑張れ、おれ!!)
「さあ、何でも言え」
 ぱん、と男らしく腿を叩いたゾロは、
「添い寝か? 一緒に風呂か? それともボール遊びか? 散歩か?
 本当は遠慮してえところだが、今日だけは譲歩して好きなだけ撫でさせてやる。
 それともプロレスごっこか。ああ、そうだ。顔舐めてやろうか?
 さあ、何でも言え」
 野郎の顔で真面目にそんなことを吐かれたら絶対セクハラだと思うのだが、サンジはそれどころじゃなく半ばパニックに陥っていた。
 何故だろう。何故なんでしょう。
 ただでさえアニマルスキンシップ飢えで意識が朦朧とし始めているのに、これ以上なんだか、居た堪れない気持ちになりたくないから―――必死になって我慢していたのに、あんまりだと本気で思う。
(添い寝? 一緒に風呂? ボール遊び?)
 したいとも!!!
 なんとも心は正直なもので、あまりに甘美な誘いにうっかりへらへら笑い出しそうになった。楽園がここにあったよジジイ〜とか、新年早々一本ネジがぶっ飛ぶところであった。
(ゾロの添い寝〜 ゾロとお風呂〜 ゾロと散歩〜 ゾロとプロレスごっこ〜)
 …断っておくが、決して、決してッ、

 野郎のゾロとではない。

 頭の中で巡り廻るのは、可愛い仕種でキュンっと小首を傾げて、尻尾をぱたぱたさせて、鼻をくんくんさせながらじゃれてくる愛くるしい子犬のゾロだ。
 ほこほこの柔らかな、動物独特のふんわりした胸毛に顔をうずめてぐ〜りぐりとか、心行くまで肉球を指で揉ませていただくとか、普段は許してくれないであろう抱っこ、おんぶ、尻尾だってなんべんも触ってやる。
 鼻やほっぺや口にチュウなんて何回だってしてやる。あの可愛い口で自分の鼻や唇をあむあむされたら昇天してもいい。ンもうゾロ〜!好きだ〜!お前が一番可愛い可愛いおれのわんこ〜!
「って違―――うッ!」
 思わずトリップしかけた自分に絶叫して、サンジは慌てて頭を掻き毟った。
「なんだ。違うことしてえのか?」
「え、あ。いや、そ、そうじゃねえけど…」
 思わず何故か小声になってしまうサンジに、悲愴なまでの覚悟を―――ゾロは本当に、過剰なまでのサンジの愛情に滅入っていた。勿論、犬として与えられる愛情の部分にであるが―――しかし、元気のない同居人を、彼なりに心配しているようで、覚悟をもって真顔で言い続ける。
「お前の言う通りにしてやる。さあ、好きに命じろ」
(め、命じろ…とかゆうな…)
 目の下から火が噴けそうだ、とか、サンジは本気で思う。
「………てめえ、逃げるなよ」
 自分が犬に対して過剰なまでの愛情表現をしてしまうこと、重々サンジは承知している。
 だからこそ、思わずそう言うと…ゾロは笑った。
「アホ。ここまで覚悟決めて言ってんだ。男に二言はねえ。さあ―――何して欲しい」
 スキンシップ失調による、極度の眩暈からサンジはぽやんとしながらゾロを見た。
 何してほしい。いっぱいほしい。犬がほしい。わんこわんこ、好きだ〜。しやわせだ〜。
 サンジが綺麗だな、と思った、あの印象的な飴色が、瞳孔の部分がきらきら光っている。不思議な色だ。舐めたら甘いかもしれないと思うと(ああ、もうおれ終ってるし〜)
 だって食べちゃいたいくらい可愛い愛犬なんだし、もうしょうがないのだ。
「―――ほら、言えよ」

(言わなきゃ)
(言わなきゃ伝わらねェよ)
 いつだって、ゾロはほら、ちゃんと人間の姿になって、サンジに合わせて言葉を伝えてくれる。
 犬の姿じゃ絶対に聞けない。「美味ェ」だとか「好きだ」だとか。「サンジ」だとか。

「だっこがしたい」
 ほこほこの毛。ゾロは北方の狼の血を引くから、長毛でそうっと指を絡めると気持ちがいいのだ。背中の毛は少し硬めで、首から腹にかけては赤ん坊の髪の毛みたいにふわふわしている。こんなに暖かで優しいものがあるから、触れ合うだけで呼吸が止まりそうになるほど幸せになれる。だから、サンジは途方もなく彼らを愛しく思う。
 抱っこなんて、普段は絶対嫌がられる行為ナンバーワンだ。思いきり抱きしめるとじたばたして肉球で容赦なくパンチを食らうが、今回はゾロから言い出したのだ。好きなだけだっこしてやると思って、だらしない顔でサンジが言うと、ゾロの双眸が瞬いた。
「仰せのままに」
 だから、どこでそんな言葉覚えてくるんだよとかツッコミをいれる暇もなく。
 力一杯「人間の」ゾロに抱きしめられて、サンジはアホ面さげたまましばし意識をぶっ飛ばしていた。
(だっこだ〜)
 ふにゃふにゃ笑うと、物凄い近くでゾロが喉を震わせて笑うのがわかった。
(あったけー)
 首の後ろに腕を回して、犬にやるみたいに髪の毛をぐりぐり撫でると、やっぱり子犬の時の触り心地と違っていた。
 日溜りをいっぱいに吸いこんだような暖かな匂いは一緒なのに、感触が違うなんて。統一しろ!とか理不尽なことを思うのもきっと、愛のせいなのね。
 首根っこに齧り付くように、一生懸命顔を擦り付けるとよしよしと頭を撫でられた。そのままサンジの頭くらい簡単にわしづかみ出来るのではないかというほど大きな、無骨な手と指が頭皮をなぞって行くと、マッサージのようでなかなか気持ちが良い。
 頭を撫でられるだなんて、もの凄い小さい時以来のことだ。しかもこんなに丁寧に、「叩く」とも「触れる」とも違う撫でるという行為に、スキンシップは実は本当に大事なことなのではないだろうかとすら、思う。
(ああ、おれはホントに)
 好きなんだなあ、と思うとほっぺたが暖かくて、そうきっと、一番だらしない顔をしているんだろう。
「もっと」
 ハグをしろとアピールすると、無言で両腕に力が篭る。
「もっとしろ」
「ハイハイ」
 襟足のところを撫でられる。首筋に擦れてくすぐったい。
「もっと」
「わかった」

 なんだか、自分のほうが犬になったような気がするとサンジは思った。

 かまえ、遊べ、撫でろ、抱っこしろ、散歩つれてけ、風呂入ろう、プロレスしろ、ハグしろ、チュウしろ、もっとしろ!
「甘ったれめ」
 ぐりぐりとおでこに同じそれをぶつけられ、うーっとサンジは唸った。
「そうそう、お前はそうやって、偉そうに命令してろ。どうせ無理したって反動がくるだけなんだ」
 どうせ病的なまでの犬フェチなのだ。禁断症状に飢えて行動が怪しくなるより、さっさと楽になってしまえばいいとゾロはいう。煙草吸いすぎるな、怒ってごみ箱蹴飛ばすな、血走った目で近所の犬猫を見つめるな、などなど色んなことを低い声に諭された気がするがナデナデよしよしが気持ち良過ぎて、何だかどうでもよくなった。
「おまえがプリンセスの弟子でも長っ鼻の親戚でも、もうなんでもいいや〜」
 うるうるおめめのチワワでも、愛くるしい牧羊ブタでも癒せない。
「おう。そうだな、てめえも俺で我慢しとけ」
 仕方がねえから一緒にいてやると言われて、陶酔状態のサンジは「うにゃ」だか「ふにぇ」だかよくわからない言葉で返した。
「ゾロ〜」
 子供になったみたいに頭をぐりぐり胸部に押し付けると、ふこふこしたものがあたってサンジは顔をあげた。
「くぅん」
 可愛いおめめ、愛くるしい表情、柔らかな舌、暖かな体毛。
「…ゾロ…」
「わん」
 こしこしと体を擦り付けて、さあ、撫でやがれと言わんばかりにアピールする子犬は、サンジが触りたくてしょうがなかった、大好きな温度。(あれえ?)
 しっかり両腕を回して抱きしめて頬擦りしながらサンジは微かに疑問を抱く。
「がう」
 大きな舌で頬を舐められて、至福だなあと思いながらやっぱりふしぎに思う。
(―――あれえ?)
 首筋に顔をうずめて気持ちの良い毛並みを肌で感じて、
(………あれ、……)

 わからない。幸せだ。幸せなのにわからない、何でだろう。ぽっかり胸に空白部分があるような、すうすう隙間風が吹くみたいな―――この焦燥は何だ。幸せなはずなのに、なんだ。

「ぞ、ろ?」
「わん!」
 子犬は元気良く返事を返す。
「ゾロ?」
「―――ぅん?」
 なんだ、とか、おう、とか言わないのだ。
「―――ゾロ?」
「がう」
 なんだよ、文句あるか。まだなにかしてえのか。仕方ねえ、ほら、何でも言えよ。
(声が聞こえない)


 なんだか泣きそうになってそのまま力一杯子犬を抱きしめた。
 ―――回される腕など、あるわけない。

◎犬がきました。はコメディですよ〜。コメディ!コメディ!
◎あ、…あれえ?(首を傾げる)


03/01/28
▽・ェ・▽

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