真夏のメリークリスマス

★ 9.25 ★

〜 ぽんぽん。〜


 酔うとサンジは上戸になる。
 なんとか、上戸、と使うらしいが、とにかく上戸だ。
 何故なら笑ったり泣いたり怒ったり忙しい。
 クリスマスに愛らしく喋るぬいぐるみのような獣が現れてのち、てんこうという言葉を一緒になって探した。辞書をひっくり返して調べてもよくわからない。
 やがて早々飽きたらしいサンジは(意外とこういうところがアバウトだ)さっさと辞書をゾロのほうに放り投げて夕飯の準備をしていた。数日前から仕込みをしていた念入りな、こだわったそれらは今日という日のためのものらしい。
 サンジの作る飯は好きだ。どこで食べるより好きだと思う。
 だから実はこっそり楽しみで、サンジに続いて辞書を閉じたゾロはそのまま犬の姿でねっころがって、キッチンと呼ぶには狭く庶民的な台所で、片足でリズムをとりながらふんふん鼻歌を歌う主人の背中を眺めた。
 機嫌のよい時はこうして鼻歌混じりに料理を作る。単位が足らなくなって集中追加講座を受けにいったフラストレーションを一気に解放するには、ゾロと(勿論犬の!)じゃれあってひとしきり満足したあと、こうして料理に没頭する。
 こうやってサンジはリズムを自分で生み出しているのだ。
「We wish a Marry X'mas♪」
 サンジの声も、実は伸びやかでよい音をしていると思う。
 声を聞くときは犬の姿がいい。聴力の発達した、ピンと尖った耳はいざともなれば全力でただひとつの音を捉えることができる。世界に存在する音はサンジの放つそれだけだ。呼吸音、唇が開いたり閉じたり跳ねる音、声帯から生まれる振動。人間の姿でいうなら、ぴとりと体を抱き合わせて声を放つくらいの近さでよりよく聞こえるため、サンジが歌う時は犬モードで微かにリズムにのって尻尾をぺたん、ぱたんとさせるのがいい。
「And a Happy new year」
 普段の喋り方と違う、まるで呪文のような舌遣い。《えいご》というのだそうだ。えいごは《がいこくご》。人間も犬とおなじで種類がたくさんいる。つまり、吼え方が違うのと同じだ。
「味見してえか?」
 鶏肉にチョコレートソースをかけるのだ、とサンジは言っていた。一見似合わないかもしれねえが、おれの手にかかれば何でもうまいんだ、と。木べらから人差し指で掬い取ったビターチョコソースをつい、と差し出してくるサンジを見上げ、ゾロはくんくんと指を嗅いだ。甘過ぎる匂いではない。昼間はあっさりめの味付けのスープ・パスタだったから夕飯は少し味が濃くなるんだろう。ぺろりと長い舌が指を絡めるとサンジはくすぐったそうにした。
「あー、てめえ本当に食うし。犬の姿であんま人間のもん食うなよー? って、お前は病気もしらねえんだっけな」
 玉葱を丸齧りしても中毒の中の字もおこさない、けろりとした犬である。フィラリア、ジステンバー、狂犬病すらゾロという存在にとっては我関せずのものなのかもしれない。
 ペットとして、というより愛する家族として動物を溺愛するサンジだからこそ、勿論定期的なワクチンやら検診やらは半ば無理矢理連れていかれるが、ふつうの犬と違ってゾロは喋ることができる。調子が悪かったらそれを言える姿がある。
 ふといとおしさを隠さない眼差しでゾロを見ていたサンジは、しかし慌てて立ち上がりさっさと鍋のもとに戻ってしまった。まるで後ろめたいことでもしたかのような姿にゾロはちょっと拍子抜けする。
 まあ、あれだ。
 根が能天気というか、明るいくせに、自分を追い詰めるタイプでもあるらしい。このご主人様は。
 ゾロには想像もできない難しいことでいちいち悩んで眉根を寄せているんだろう。
 厄介な飼い主も自慢の腕をふるってイベント用の料理を仕上げれば、よだれをたらしかねないゾロのじれたような目にやっと御機嫌よろしくにやりとする。
「おい、食っていいか」
「まずメリークリスマスってのが先だ」
 そもそもクリスマスってのはだぁな? と長口上を語り始めたサンジのそれをストップさせるため、ゾロはすぐさま仔犬の姿に戻り、ころんと腹を見せて可愛いポーズをとった。服従。サンジはゾロの主人であり、同居人である。そして面倒を見てやっている自覚がある。別段腹を見せる行為がプライドに関わるとかそんなコダワリはなかった。背中を見せて逃げ出すほうがよっぽど恥だ、とかなんとか思う武士道な犬は、己の目的を達成するためには躊躇ったりしないのだ。
「―――くっ…は…」
 ごはんちょーだい。だ。いや、もしかしたらメシよこせ。かもしれないが(その可能性は充分高かった)とにかく前肢をきちんと揃えてころん、となる狼犬の姿はサンジヴィジョンでは天使降臨である。そりゃもう荘厳な音楽と共にバックでリ〜ンゴ〜ンと祝福の鐘が鳴り響き、天からは光が降り注ぎってなもんだ。白いふこふこな腹毛がサンジを誘惑し、ちょこりとしたおててが愛らしい。しかもわざと、そう、このしたたかな子犬はわざと、小首を傾げてみせた。きゅん、となるように、肩にほっぺが触るか触らないかくらいの角度で、舌を出してはっはと息遣いしながら、あどけない目をきゅるんと潤ませる。つーか、メシよこせ。てめえの長い話はいらねえから。
「がっ …がわいぃいぃいいぃいぃい―――!!」
 耐え切れなくなった究極のフェチがごろごろと床を転がり回って悶絶する。
「かわいいぃー! うあああ! 世界で一番かわいいー!」
 だむだむだむっと薄い壁を殴って蹴って、ああ、隣の気のいい漫才コンビは怯えてなかろうか。それともさんたくろーすなるおっさんに扮し、赤い服を着こんで今日もバイトだろうか。
「おれのゾロは今、まさに、神をも越えた…ッ」
 口元を押さえながらティッシュを探している男の背中を見て、ゾロは人間の姿に戻りつつ慄然とした。
 己のペットで鼻血が出せる金髪だ。そりゃ恐ろしい。けどメシが先だ。今は食う。
 いただきま〜すと手を合わせ、勝手にこく、っと頷いて、勝手に箸でロースト・チキンの解体を始めたゾロにティッシュで鼻栓をしたサンジが飛びかかってきた。
「すきだああー! ゾロ、ゾロ、ゾ〜ロッ!!」
「うがあ!」
 首根っこに飛びかかられキッスの雨をいただいたゾロは、正気に戻ったサンジにしこたま蹴られ、散々な思いをすることになったのだが―――。
 酔うとサンジは上戸になる。
 食前酒は白ワインに柑橘系果汁をあわせたアグア・デ・バレンシアとかいうドリンクで、スパークリングワインを空けたあとはロゼ。このあたりから随分とペースが速い。ゾロに釣られてサンジもぐいぐいあおる。御機嫌よろしく浮かれたサンジがキウイ・マティーニ、これがマンハッタン、これがスロースターター、と次々カクテルを出してくる。最終的にゾロが一番大好きな日本酒に辿り付くころには、もうサンジはへべれけ状態なのだ。
「あのな、おれな、あのな、あの」
「わかった。わかったから話すならまとまってから話せ」
「…つめたいぃー!」
 ぷく、と頬を膨らませたサンジは一升瓶を抱えたまま正座し、さも機嫌を損ねたと言わんばかりに瓶をますます抱えこんで縮こまる。
「ぞろがつーめーたーいー!」
「あ、ああ。悪かった、悪かったから―――瓶をよこせ、じゃねえ、いいからはなそうな?」
「やだ」
 やだって。ゾロは絶句し、まじまじと金髪を見つめた。紅潮した頬ととろんとした目には見覚えがある。普段のアニマルフェチ度数が最骨頂に達したときのあのヤバイ目とも似ているが、口元をだらしなく緩めてにこにこしたり拗ねたり…まるっきり、近所の子どもと同じだ。
「てめーはおれのいぬなのに、つめたいからやだ」
 下唇を突き出して、ふんふんと鼻を鳴らすサンジのほうが動物くさいような気もする。しかも普段素直に甘えたり出来ない性質なものだから(そのくせ実は非常にかまって欲しがりかつさみしがりなので)若干開放的になったサンジは幼児化とまではいかないものの、あからさまに子どもっぽくなる。
 ゾロは途方に暮れてサンジをじーっと見つめた。見つめるといつもなら何だよ! と食ってかかってくるか、見てるんじゃねえ! と怒鳴り散らすというのに、ゾロの不躾な視線にもぽかーんとした間抜けヅラで見つめ返してくる。

 実に妙な雰囲気だった。

 外は静かで(といってもきっと他の家もクリスマスパーティで盛りあがっているんだろうけど)商店街や駅のほうにいけばまだにぎやかなんだろう。ただ、急に冷えこんできたから外に出る人間はいないようですぐ傍の道には人影がない。
 一升瓶を抱えたまま正座してごねる酔っ払いなサンジと、その酔っ払いの犬であるゾロがこうして見詰め合っている。
「…つべたい」
「冷たくねえ」
「つべたいー」
「冷たくねえって」
「うそだ。つめてえぞ…」
 ―――と。やっとゾロは異変に気づいた。つめたいつめたいとごねるサンジの肩が小刻みに震えていて、あーっと人外な存在であるゾロはやっと立ち上がり、慌てて毛布をかき集めてつきだした。
「アホ、早く言え」
「さっきからつめたいって言ってたじゃねぇかよう…」
「そりゃあ《つめたい》じゃなくて《さむい》だろ」
 俺に言葉を教えるのはてめぇの役割だったろうが、と、へべれけ教師を叱って、しかし一生懸命酒瓶を抱えこんでいるサンジはどうにもそれを手放してはくれないようである。仕方がないのでそのまま毛布でぐるぐるっと簀巻きにすると、サンジはアホのようにつべたいつべたいと繰り返した。多分それが口癖になってしまったんだろう。まいぶーむ、というやつかもしれない。
「…さむい」
 冷たい水分ばかり飲んでいたせいだ。いつもなら口うるさく制限するのはサンジの役割なのである。当然自分のキャパシティを大きく上回った、しかもハイペースの摂取量に脳味噌も体も限界を訴え始めた。
(頭いてぇ)
(さむいし)
(ぞろがつめてぇ)
 どうしよう。こんなにサンジは辛いというのに、馬鹿犬め、なんとかいったらどうなんだ。
 そう思うと急に悲しくなってひっくと喉を鳴らすとそれがまた癖になった。激しく横隔膜が痙攣し、ひっく、ひっくと連続して肩が揺れ始める。どうしよう。しゃっくりを100回すると死んじゃうんだって聞いたことある。折角のクリスマス、とびっきりのイベントだというのにあんまりだと思うとますます悲しくなって、目許がじわんと熱くなる。
(なんでおれがこんなにサミシイ思いをしなきゃなんねーんだ)
(畜生)
(ムカつく)
(ゾロのくせに)
(おれの犬なのに)
(言うこときかないし)
(思い通りになんねえし)
(いきなり襲いかかってきたくせに)
(てめーのせいだ)
「―――サンジ?」
 おそるおそる名前を呼ばれた途端、滝のようにだあっと一気に涙が流れた。いや涙じゃねえ、これは涙なんかじゃない。何たる目ン玉のハナミズだ。いや汗だ、ヨダレだ。とにかく涙なんかじゃない。
「具合が悪いのか?」
 以前駅のホームでぶっ倒れて以来、飼い犬はこと病気や怪我に関して慎重になった。頑丈な犬人間なんかと違ってごく普通の人間なサンジはそりゃあ、ゾロが力一杯握り締めれば折れそうなくらいの細い腕をしている。肩幅だって首根っこだって、こうしてゾロがゆっくり腕を回してすっぽり覆えばすっかりおさまってしまう。
 ぶっとい腕でぎゅうっとされて、サンジは自分が実は物凄く傷付いているんじゃないか、と半分溶解した脳みそで考えた。だって態度が。うまく作れない。いや作るって時点でもうだめだ。普通でいたいのだ。自然でいたい。なのにふとした瞬間動揺した挙句、きょとんとしたゾロの視線にぶつかるのは相当居心地が悪い―――まるでサンジだけ悪いみたいだ。どうして自分が後ろめたさなんか覚えなきゃいけないんだ? と思うとますます―――そうだ。
 涙が出ちゃうだろ。男の子だけどよ。
 せつないなぁ、と思った途端ぶわあっと込み上げてくるものがあって、それが涙(とハナミズ)だと知ったら。
「よしよし」
 よしよしじゃねえよーと顎に蹴りをいれたかったのに、すっかり簀巻きにされた手足は綺麗に包まれていて身動き一つとれない。せめてぐしょぐしょの顔は拭いたいのにがっちりホールドされてそれもかなわないとなると、みっともなくてムカついて、ひーんと喉を鳴らすと乱暴に頭を撫でられた。
「泣くな、泣くな」
 よっこいせ、とそのまま胡座をかいた膝上に乗せられていつもふてぶてしい面構えと再び、今度は本当に間近でお見合いになる。ぐしゃぐしゃの顔を丁寧に舌で舐めとってやるとサンジがくすぐったような顔でうわあと顔を顰めた。
(―――顔、熱いぞ?)
 舌を走らせた皮膚の表面温度が高い。酒のせいだろうか、それとも泣き出すことで興奮したせいか。
「ビョーキになるな」
 へろんへろんになって、すっかり気落ちしているサンジは何だかサンジではない気がする。
 それは困るのだ。サンジが妙だとゾロも落ち着かなくなるのである。ビョーキやケガであんなふうに弱り切ってしまうのだったら、すぐに動けなくなってしまいそうだ。多分、ゾロは、自分でも驚くほど動揺していたのだと思う。
 普段なら人間モードでこんな真似をすれば飛びあがってぎゃあぎゃあ喚き出すのに、今は抵抗すら見せない。多分酔っ払って前後不覚に陥る寸前というか、とにかく多分自分が何を言ってるかとかわかっていないのだ。わからないまま、ひんひんと泣くしか出来ないでいるひよこ頭をどうにかしてやりたくて、人間の姿ではやるな、といわれていたはずのことまで思わずしてしまう犬なのである。
 丁寧に顔を舐めとってやるとデコをぶつけてきた。手足を封じられたサンジの抗議らしい。
「冷たくしてねえから」
 というか冷たくした覚えはない。ないのだが、このスキンシップ大好き男の本音を考えれば一緒にいるだけじゃあだめなのだ。足りないのである。だから、こうやって手足を伸ばし、密着して息遣いと温度がすぐわかるところで撫でてやらないといけない。

 ペットというものは。
 もしかしたら、こうして本当にすぐ傍でぬくもりを、無条件で与えられ、与えてやる存在なんじゃないかとふと思った。
 サンジはすべからく、ペットに値する生き物を最上の友として扱うけれど多分、もっともっと近い意味では友というより家族なんだろう。サンジがいる。そこにゾロがいる。これだけで家になる。最も遠い他人(あるいは、犬)であるゾロが隣にいることが重要なのだ。
 ゾロはなぜサンジの処にいるのだろう。
 なぜ、サンジなんだろう。
「違うよな」
 問題はそんなことじゃあない。
 ただ傍にいたいからだ。

「てめェが俺を選んだ。俺もてめェを選んだ。―――ただそれだけのことだろ?」

 ぢゅ、と音を鳴らして鼻を啜り、唇を丹念に舐めると「おう」と小さな返事がかえってきた。
「クソ犬、おまえはおれのもんだ」
「おう、その通りだ」
「だからいつも、かあいいぽーずを、おれのために、するべきだ」
「…そりゃ御免だ」
 きっと明日になったら覚えてねえんだろうな、と思いながらゾロはまた笑ってサンジの頬を舐め、まあるい後頭部をぽんぽんした。頭を首根っこに擦り付けてくるから背中もぽんぽんしてやった。

 子犬、生まれて初めて迎えるクリスマスの夜のことである。

◎季節は夏ですが遡ってクリスマスです。(イエーイ)
◎ラブ篇結局放置してたから…。から…から…。

03/07/21 海の日デッドエンドの日
▽・ェ・▽

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