★ 子犬とトナカイとクリスマス。 ★
〜犬がきました 09〜


 目に鮮やかなオレンジ色のテンガロン・ハットが揺れる。
 空港に降り立ったエースはエコノミーですっかり寝入ってしまい、ぎこちなく体を動かし、うんと伸びをした。
 この空気が変わる匂いがいい。
 例えば思いっきり田舎に行って何日か過ごして、都会に戻った時の排気ガス臭さに眉を顰めたりだとか、窓の外には雪が降りつづける国から、一気に常夏の南国へ辿り付いたときのあのピリピリするような肌に刺さる温度の違い。
 世界にはいろんな国があって、いろんな場所があって、いろんな人間がいる。
 不意にそれを感じる瞬間―――例えば今のように―――この一瞬を感じたくて、こんなにふらふらさまよっているのかもしれないなどと眼差しは穏やかに、エースは思う。
「おぉ〜、日本も結構寒くなったもんだ」
 ぶるりと肩を震わせて、慌てて真っ黒なコートを引っ張り出す。
 スーツケース一つ引きずらない身軽な旅行者は久々にケツポケットから携帯電話を引っ張り出し、電源をオンにする。
「うちの弟は人様に迷惑かけてねェかな?」
 微笑とも苦笑ともつかない笑みが浮かぶのは、問題児の弟を抱えた出来た兄貴の、それでも兄弟おもいな感情からで、
「―――お」
 ふと目に入った、広々とした空港一階のフロアに聳え立つ巨大なもみの樹。
 ―――クリスマス・ツリーだ。
「もうそんな時期かァ」
 売店のクリスマス・グッズを見て久しぶりにエースはプレゼントを買う気分になった。ルフィはなにかものよりも、食べられるもののほうがいいだろう。いつも何かと世話になっているナミにはシャンパンを、サンジには―――トナカイのぬいぐるみなんて、どうだろうか。
 イベントが大好きな弟は喜ぶだろう。はしゃげる、遊べる、楽しめる―――それになによりたくさん食える。
 なんとも単純な弟の思考をあっさりと兄は読み、しかし浮かべる微笑みは今度こそ優しい明確な意思のものでエースは機嫌よく口笛を吹きながらフロアを降りていった。



「ジングルベールジングルベール♪」
 11月下旬から唐突にテレビのCMにそんな曲が流れたり、赤い服をきた人間が登場するようになってゾロは戸惑った。
 目をぱちくりさせて、画面を眺める子犬の後姿は心底不思議そうで微笑ましいものがある。
 此処に動物狂いの犬フェチな、彼のご主人様がいれば悶絶して卒倒していたかもしれない。
 パーティをする人間達が映し出される。クリスマス特集。雪が降る光景。…ゾロの知らない世界。
「…?」
 子犬は小首を傾げて、テレビから何度も流れるその聞き慣れない単語の意味を考える。
 ほわいとくりすます。
 じんぐるべる。
 ゆき。
「…??」
 聞いたことのない単語だ。サンジが帰ってきたら取り敢えず聞いてみようと子犬は瞬きする。
 さんたくろーす。
 いぶ。
 せいや。
「……???」
 人間の世界は良くわからない、と思ってしまうことから推測するに、もしかしたらゾロはやはり人より獣の感覚が強いのかもしれない。自分の中の感覚を振りかえって、ゾロはその琥珀の双眸を細めた。
 どうやらこの時期、人間達の中では赤い服を着るのが流行るらしい。
 サンジの年末年始は忙しい。比較的暢気な学生の身の上とはいえ、死活問題のかかったアルバイトに明け暮れる彼としては「ガッコに行くために稼いでるはずなのに、なんで単位が足らなくなるんだ?」という逆算失敗劇が、ここぞというこの時期に起こる。
 さて、そんな切羽詰った学生諸君のために、学校側は渋々と救済の手を差し伸べる。短気集中講義だとか、そんな風に呼ばれる―――普段ならば半年かけて取る単位を二日、三日の短期間で得させるというその講座を得るべく、何だか泣きそうな顔をしながらサンジは出かけていった。
 そんなに「だいがくせい」という身分は大変なものなのか、やや圧倒されながらゾロは大変だなという感想を抱く。しかし、善良なる子犬は知らないだけなのだ。
 クリスマスというロマンティックな時期において、素敵なお嬢さんや動物たちに囲まれて幸せな時間を過ごすあてが外れて、自業自得の領域に足を踏み込んでしまったのは―――サンジ自身なのである。
 近所の東青海商店街だけでなく、サンジの通うGL大学内でも何故かファンクラブがあるほど、堂々の人気を誇る狼犬。モノトーンの毛並みに、琥珀の瞳も凛々しい子犬も生まれて半年以上、当初サンジの家に来た頃より数倍がたいもよくなり、体つきも大人びてきた。(…人間の姿は至って変わらないままなのだが…)
 すでに「子犬」と呼ぶにはでかすぎる、迫力有る体躯にまで成長した。
 しかしなにぶん、教育する側があの能天気な金髪なので―――子犬としては自主的にいろんなことに馴染んでいくしかなかった。体はサンジの飯で栄養を満遍なく吸収し、すくすく育ってはいるが、内面的なものとなるといまだにゾロは頓珍漢なことを言ってしまいかねない。余計なことは積極的に覚えさせるくせに、こと細かな事になると大雑把になるサンジの二面性はさすがの子犬も閉口する。
 ちなみに、ゾロが「ふつう、犬は主人にきちんと調教されて物事を覚えるんだよな?」と訊ねたところ、盛大に味噌汁のシャワーをぶっ掛けられたので、二度と聞くまいと心に決めている。
(だいたい、あいつは)
 結局のところ、ゾロより「せいしんねんれい」が低いのではないか―――などと、サンジが聞いたら憤慨しそうなことを考える。
 しかし、何故だか秋の日の「ゾロの異変」以来、暴力的な程、動物愛に満ち溢れた男はゾロに甘えたり頬でぐりぐりしたり、と過剰なまでのスキンシップを我慢するようになった。
「野郎に添い寝するぐらいだったら、おれは出家して尼になる!!」
 ゾロは思った。男はアマにはなれねえだろ、と。
 とにかく、そんなことを厳かに言うくせに、暖房もろくにつかえない室内は冬の寒さに冷気がこもり、布団に潜ってもちっとも暖かくならないと掌返したように、猫なで声でサンジは叫ぶのだ。
「ゾロ! も、もうちょっとこっちこい! つーか、一緒に寝ろ! ご主人様命令〜!」
 とか言いながら駄々を捏ねるのだ。
 しかし情熱的な抱擁や、顔が引きつってしまいそうになるようなキスの雨とは暫く遭遇していない。
(物足りない―――って思うあたり、俺もやべえのか?)
 確実に感化されている。ゾロはやや眉根を寄せて唸った。

 空気が冷えてきた。湿っぽいそれがひんやり透明になっていく。
(またあの白いやつが降るな)
 今年この地方初めての白いそれは、雨の中に混じってちらちらと降った。しかしテレビからの情報から推測するに、あれがいっぱい降ると積もって、一面真っ白になるらしい。
(―――あいつ、大丈夫か?)
 寒い寒いと文句を垂れながら肩を震わせている主人の姿を思い浮かべ、ゾロは迎えにいく準備をしようと立ちあがり―――そして、

 コン、コン。

 小さな音は玄関の安っぽいドアからではなく、なぜかベランダから聞こえた。
「―――ん?」
 日もすっかり落ちて、空気は冷たい。人通りもすっかり無くなったアパート周辺は物音一つですら大きく聞こえる―――ベランダから響いたそれに、ゾロは初めてこの家にきて、人間の姿になったときのことを思い出した。あのときは「空き巣」とかいう悪いやつが、ジョニー&ヨサク宅に潜入後、この隣のサンジの家にベランダをつたって押し入ってきたのだ。

 コン、コン。

「―――あー。誰だ?」
 ゾロはゆっくりと近づき、ベランダの戸をがらがらと開けた。周囲には何も見当たらない―――と、視線を下にして、犬人間という不名誉な肩書きを持つふてぶてしい不動の彼は、面食らったように目を軽く見開いた。
「―――んあ?」
「こ、こここ、こ、こんばんは! …あんまり見るな、コノヤローが!」
 小さなそれはピンク色の帽子を揺らしながら、おどおどしながらゾロを見上げてそう言った。
「ええと、あの。あの。久しぶりだ、テンコウ」
(テンコウ)
 テンコウとは天候のことだろうか。そういえば白いの…「ゆき」が降りそうだし、こいつはビクビクと肩を震わせているから寒いのかもしれない。
 サンジが見たら発狂しそうだ、とだけゾロは思い、そのぬいぐるみのような…トナカイ…だろうか。愛くるしい動物を眺め、まあ入れと中へ手招いた。

「おれの名前はトニートニー・チョッパー」
 ゾロは、その来訪者に生憎と覚えがなかった。久しぶりといわれたからには、この二本足で立つトナカイと逢ったことがあるのだろう。しかしさっぱり思い出せない。
 無垢な瞳が嬉しそうに、ずいぶん逢ってなかったな! なつかしいぞ!と笑うから、やや申し訳ない気持ちになりながらゾロが
「すまん、覚えてねえ」
 するとチョッパーは、首を傾げてたずね返した。
「なあ、おまえ。いま何歳だ?」
「あ? ………犬の姿で生まれてからは九ヶ月ってとこだ」
 トナカイの角が頷くたび、つられて揺れる。
 何故だか納得した様子で、小さな彼は改めてゾロに向き直り名乗りをあげたのだ。
「テンコウの名前は?」
「…テンコウ、とは俺のことか」
「そうだ。おれは前におまえをそう呼んでたぞ。でも名前とはちがう。ええと、職業みたいなもの…だ!」
 テンコウという職業。ゾロは首をかしげた―――さっぱり覚えがない。テンコウという言葉を懸命に探してみる―――天候、転向、天幸…わからなかったので、ゾロは適当に頷いた。
「ゾロだ。…ロロノア・ゾロ」
「ゾロ」
 いい名前だ、と無邪気にチョッパーは褒めてくれる。
「ところで」
 さても暢気というか磊落というか、サンジの大雑把さ加減を何とも言えない立場にあるゾロは、やっと聞かなければならないことを思い出した。
 うっかり自分が犬にも人間にもなれるので―――目の前のトナカイ人間のことを、違和感なく受けとめてしまっていた。
「もしかして、お前は俺と同種なのか」
「うーん」
 チョッパーは困ったように小首を傾げる。
「ちょっと違う。おれはシンジュウじゃない。完璧なトナカイになることはできるけど、完璧な人間の姿にはなれない」
「シンジュウ?」
「ゾロは、シンジュウのテンコウだ」
 チョッパーはにこにこする。クリスマス・イヴの突然の来訪者は、ゾロの知らない自身の正体まで知っているらしい―――そうだ!と小さな彼はぽんとひづめを叩いた。
「ゾロはもう決めたのか?」
「何をだ」
「ケイヤクシャをだ」
「―――けいやく…契約か? 約束、の?」
「そうだ」
 ゾロは目を瞑って、ああ、と頷いた。

 瞼にうつる。
 黒髪。笑顔。叫び声と、斬られたときの感覚、
 壊れたときと、戻らない時間。誓い。約束。かならず―――
 ―――金色。自分の目の色。同じ色。

 ―――サンジ。

「…ああ」
 決めたのだと思う。ゾロは。―――確かに「あいつがいい」と思った。
「決めている」
 チョッパーは息を飲み、一生懸命物事を伝えるべく―――矢継ぎ早に言葉を発した。
「ゾロが選んだんなら、おれ、何も言えないんだけど。他のシンジュウはそう思ってないみたいだ…だから、おれ、知らせなくちゃって。ゾロがおれを覚えてないこと、すっかり忘れてて…突然きて、びっくりしたかもしれないけど、でも、言わなくちゃって!」
 ピンク色の帽子がゆらゆらと揺れる。
「また、鷹が―――いくら、狼と、血族のためだからって、ひどいことしたらゾロがまた傷付く。いっぱい傷付く。ゾロは最後のシンジュウの狼だから、だから………あっ!」
 チョッパーは慌てて立ち上がった。ゾロは不思議そうに小さな彼を見つめ、玄関の近くでする聞き慣れた足音にああ、と納得する。
「ごめん、おれ。帰る!」
「え、おい。お前」
 途端におろおろしだしたトナカイは、玄関のドアノブに手がかかった音を聞いて飛びあがった。
「だめだ! おれ、人間には会っちゃいけないから―――」
「おい、待て!」
「ゾロ、お前は覚えてなくても、血が覚えてる。お前はたしかに、シンジュウのテンコウだ。おれは、お前のこと知ってる。だから―――だから…」
「ただいま〜」
「!」
 チョッパーの帽子が落下していくのと、サンジが顔を出したのは丁度同じときで。
「……おまえ、ベランダから身乗り出して…なにしてんだ?」
 ぽかんとした様子のサンジに、ゾロはうーんと唸る程度にとどめた。
「―――なんか。トナカイが来た」
「…トナカイ」
「おう。赤っぽい帽子かぶってよ」

 サンジは目を瞑って、茫然と呟いた。

「ま、まさか…ゾロがイベントネタを仕入れてるとは…そんな面してロマンティックだいすきっこかよ! は、恥ずかしいやつめ!」
 サンジとの会話はあきらめ、ゾロはゆっくりとベランダを振り返った。
 ピンク色の名残はもうない。
(テンコウ。シンジュウ。トニートニー・チョッパー。ケイヤクシャ。契約者。シンジュウ。テンコウ…)



 はっと慌てて視線をサンジに戻すと、ゾロを眺めていたのかやや慌てた様子でサンジが「何だよ!」と叫ぶ。
「―――おい、この字はなんて読む?」
 慌てて空に指で文字を書くと、サンジは苦笑して首を振った。
「いやいや、わかんねえって!」
「じゃあ、手ェ貸せ」
 サンジの手を掴んで、てのひらに書こうとすると何故だか彼は真っ赤になって硬直した。
「くすぐってえのか? 我慢しろ」
 とにかく、伝えなければいけないという気持ちがはやって、ゾロはちっともサンジの様子に気づかないまま、その二文字を伝えた。
「―――なんて読む?」
「…………て。……てんぐ」
「…テング?」
「天狗」
 苦いものと甘いものを同時に食べたような妙な顔で、サンジはこくこくと首を動かす。
「天狗は、テングって読む」
「―――テンコウじゃねえのか?」
「…てんこう?」
「俺は」
 ゾロは困ったように言った。
「俺は、テングって奴なのか?」

 人狼、狼男、犬人間。
 不名誉な肩書きも混じりつつ、子犬と人間両方の生活をしてきたゾロはここでまたもや自分の正体に躓く羽目になる。
 曰く「天狗」という二文字の言葉と、「テンコウ」という音の響き。
 クリスマスに現れた不思議トナカイは、謎のプレゼントを残して去っていった。

 ゾロは、どうやら天狗らしいので、ある。



◎HappyBirthDay,Chopper&MerryX'mas!
◎皆様がよいクリスマスとお正月を迎えられますように!中途半端な終わり方ですんまそん…。

◎メリクリラブラブ編は9.25じゃあ!!(言ってもた)


02/12/25
▽・ェ・▽

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