◇ 君が笑うと太陽になる ◇ |
実のならない花はあまり好きではないと、とても傲慢なことを思っていた。 役に立つなにかを生み出す花ならまだしも、ただ、散るだけの花が何故か許せなかった。 「ひまわり」という花は、 美しい、美しいともてはやされる綺麗な花びらの中央に、 子供を、作るのだそうです。 *** 「ナミィ〜!」 はしゃいだ調子の声が聞こえて、羽根ペンを羊皮紙の上に走らせていたナミは少し、顔を上げて微笑んだ。 「ルフィ?」 「ナミー!おみやげ、おみやげ!」 ぴょんこぴょんこと揺れる麦藁帽子の更に上に、よくよく見ると船医の姿がある。 必死になってルフィの頭にしがみついて、頬を紅潮させながらそれでもチョッパーが笑っているから、ナミは船長を怒鳴りつけるのをやめた。 「おみやげってなぁに? お宝?」 そんな甲斐性があればとっくに、この船の整備は調い、食卓は潤い、ナミの服は山のようにそろえられ、バスタブには香りのついた石鹸が置かれるようになるだろう。 有り得ないことを少しでも考える自分を笑って、ナミは立ち上がる。 「―――あっ」 「これー!」 にこにこ満面の笑みを浮かべるルフィとチョッパーが、階段の下から嬉しそうにナミに突き出したそれは、夏の花だ。 ひまわり。 「たっくさん咲いてた!」 「も、貰ってきたんだ! 黙ってとってきたものじゃあないんだぞ!」 「遊んだらくれたんだ!」 「島の子と仲良くなって!」 説明不足のルフィの言葉を、フォローするようにチョッパーが続けるのだけれど、どうしてもつたない伝言ゲームのようなそれがナミの耳元を掠めて行く。 「―――そう。きれいね」 ナミの顔は微笑んでいたはずなのに、ルフィは変な顔をして、 「ナミ。ひまわり嫌いか?」 直球勝負のルフィの言葉は、いつも、どんな時も真っ直ぐすぎて、ナミはぎこちなく頷いた。 「―――ちょっと。」 「そうか、残念」 俺は好きなんだ、と少しひまわりを眺めて船長はそれでも屈託なく笑う。 「じゃあ、いいや! 今度は別のにする!」 チョッパー行くぞ!とルフィがひまわり片手に走りだし、うろたえるように船長と航海士の顔色を見上げていた船医が飛びあがる。 「ええ、ルフィ!?」 「サンジ―――! これ食えるかー!?」 「…最低」 ナミはうつむいて、下唇を噛んだ。 ベルメールが蜜柑を育てていたのは、ココヤシ村の温暖な気候とその果物があっていたことと、いざとなったら食べられるものが一番だということからだ。 ナミは無条件に、蜜柑を愛している。花も、葉も、香りも、その実も。 すべて役に立たないことはない。 アーロンがココヤシ村を支配するようになって、めっきり減ってしまった旅人相手に売っていたのは蜜柑の花の押し花だったり、ほかの花と混ぜた花冠だったり…子供の小遣い稼ぎにもならない、ほんの、ちいさなちいさなものだったけれど―――家はどうしても貧乏で、ナミはいつも義姉のおさがりを着ていたけれど。 (役立たずになるのがこわい) だって、わたしはベルメールさんの本当の子供じゃないんだもの。 いつ、飽きられて、情が冷めて、見捨てられてしまうかなんてわかったものじゃない。 蜜柑の皮を摩り下ろすと、手先が痒くなって、皮膚がふやける。 でもそのオレンジを油で作った石鹸に流しこむと、綺麗な色と香りがつくのだ。 「新しいせっけんがいいよ」 頬を膨らませるナミに、ノジコはでこぴんをしながらお説教をする。 「どうして? ナミは、みかんのせっけん、嫌いなの?」 産まれた時はきっと、戦場の硝煙の匂いに囲まれていた。 ベルメールに拾われたから、ナミは小さい頃からずっと、蜜柑の匂いに囲まれて暮らすことができたのだ。 「きらいじゃない…」 「なら、いいじゃない!」 いこう、と手を引かれて走った蜜柑畑。小さな小さな、それでも精一杯の蜜柑畑。 「この日がナミの誕生日!」 そう、ベルメールが決めた日が、孤児のナミの誕生日になった。 初夏のじんわりした空気が肌に弾けるようなそんな日が来る頃、いつだったかベルメールがその黄色い花を抱えて「はいっ!」とナミに渡したのだ。 「お誕生日おめでとう」 ナミ、生まれて来てくれてありがとう。あたしの子供でありがとう。大好き。 おなかがすいていたナミは、下唇をぎゅっと噛んで、抱きしめてくれるベルメールの腕の中でもがいた。 「ベルメールさんのばかっ! なんで、なんで…」 こんなお花を買ってきてしまったんだろう。いや、もし譲ってもらったのだとしても、それで売りに出すはずの蜜柑などで交換したのだろうか。 でも、その黄色い花弁の、いつも笑っているような大きな花では、ナミも、ノジコも、そしてベルメールもくちくならないのだ。 お腹が満たされることはないのだ。 「ナミみたいでカワイイと思ったのにな」 ちょっと残念そうにベルメールは笑って、煙草を噛んで、キッチンに立った。 「じゃあ御飯作るから、待っててね!」 ナミに嫌われてしまった黄色い花は、テーブルの上で居心地悪そうにだらんとしていた。 (わたしはみかんがすき。ひまわりは、きらい!) だって笑っているだけで、役に立たないのだもの。 大きいだけで、役に立たないのだもの。 「お前は食うことしか考えねえなあ」 サンジは笑って、ひまわりをしげしげ眺めていた。 「まあ、色々作れることは作れるけど…いいのか?」 「だって捨てるの勿体ねえよ!」 「…愛でるって選択肢があるだろうが! まあてめえに鑑賞する感性を期待すんのが間違ってンだろうがよ」 ふうと紫煙を吐いたサンジに、ルフィは「ひまわり食いてえー!」と絶叫する。 「ひまわり料理ねえ…」 確か油がつくれたはず。種を炒ってすりつぶして…ディナーに、おやつに利用できないかとコックが思考していると、医学書を片手にチョッパーがひづめを鳴らして現れて、 「ひまわりは凄いなあ」 「うん、どういうこった?」 「この花は全身に薬効作用を含んだ部分をもつんだ。 大きな顔に出来る、小さな種の殻は耳鳴りにきくし、花は風邪とか、歯痛に。葉っぱはね降圧作用があるし、茎の部分に含まれる成分は気管支炎にいい。根っこは糖尿病なんかにもいいし…」 「よくわかんねえが、身体にいいってこったな?」 「うん! ふしぎな、花だな…」 花弁をおそるおそる触るひづめは、本当におっかなびっくりしていて、サンジは笑いを押し殺す。 「無駄になるところがひとつもないんだ。…種は油にもなるし、花で染料をつくることもできるんだって」 「詳しいな」 「ナミが…」 途端、しょぼくれたようにチョッパーは耳と鼻を少し、下に傾ける。 「おれがはしゃいでるから。本を貸してくれたんだ…でも、ナミは、この花がキライみたいで」 「そうか」 コックは右目を優しく細め、小さな弟にするように、チョッパーの頬を撫でた。 「じゃあ、好きになってもらえるようになるといいな」 「好きに」 やっと、あどけないまん丸の目が少し嬉しそうに潤み、コックはニヤリと笑う。 「アーティストの血が騒ぐ」 ウソップは慌ててスケッチブックと削りたての鉛筆を口に咥えてお日様の匂いのする花をスケッチし始めると、羊皮紙の上に海図を描くため、ペンを走らせていたナミの複雑そうな瞳にぶつかって、 「どうした、ナミ?」 「…ううん。何でも…」 すると甲板からの階段をあがる音がとん、とんと響き、 「おい、水…」 「残念でした。コックさんは今チョッパーと何か相談してていません。 …ゾロ、あんたねえ。サンジ君がいくらコックさんだからって、あんたの小間使いじゃないのよ? 水くらい一人で取りなさい」 扉を開けた途端のナミの攻撃ならぬ「口撃」に合い、瞬く間に眉間に皺を寄せた剣士は、 「なんだ、てめえ。機嫌悪ィのか」 「お、おい、ゾロ!」 全く、素足で地雷を踏みに行くようなものなど、何故この剣士は気づかないのか! ウソップが青ざめるのも気づかぬように、ゾロは剣呑な表情を浮かべるナミと、鉛筆を持ったまま硬直するウソップの間をすりぬけて水をがぶ飲みする。 「…最低。気が利かないんだから」 「八つ当たりはよせ」 「してないわ!」 「ナミ、ゾロ、よせって!」 涼しい顔でゾロは視線を流し、ひまわりを見て動きを止めた。 「―――向日葵?」 「…なんだ…あんたも、知ってるの。この花…」 「知ってる…ああ、そうか」 目をつぶり、ゾロは不動のまま唇だけを微かに動かす。 「添えて見送ったな」 口数の少ない剣士から零れた音の意味など、ナミも、そしてウソップも意味など汲み取れないけれども。 ナミは重苦しくなる胸をおさえるように、微かに背中を丸めてうつむき、ウソップは逆にしっかり顔をあげてひまわりを眺めた。 「おれは…おれは、この花を持って、カヤに話をしたな。 っていっても、ほっとんどおれの作り話だけどな! ははは!」 ゾロが黙って椅子に座り、ナミは微かに肩をふるわせる。 だからウソップは妙に勇気を出して、出来るだけ明るく声を出した。 「ひまわりって花を知ってるか? そう、夏に咲く大きな花さ! 人間の背丈なんか軽く越えちまうものもあるっていうが、俺が見た一番デカイひまわりは家の屋根をすこんと突き抜けるようなバカでかいやつで、あれはすごかったー! 太陽の花とも言われてるが、あの花は本当に太陽の方向に向いて咲くって信じるか? いや、俺は信じるね。だって俺ァ見たんだ! ある日死ぬ物狂いでケルベロスとの決闘を終えた勇敢なるキャプテン・ウソップは軽い負傷を追ってしまい、なんとか畑まで辿り付いた! 街はすぐ目の前、丘を越えれば俺の城があるというのにかかわらず…しかし星空の美しい夜を過ごし、夜明けが訪れ、太陽が顔を出した。するとどうしたことだろう…!」 ウソップはここぞとばかりに大げさに手を広げ、 「ただの蕗の畑にも思えたその畑がいっせいにざわめいた! 風もないのにだ! そしてぐんぐんと持ち上がっていくそれは茎で、地面を向いていた大きな花が、顔をあげはじめたんだ。 おれは茫然とその光景を見た! やっぱり、ひまわりは太陽に顔を向けて育つんだって確信を持ってな。 そうして夕方、また俺はその花が咲く地を訪れ、ゆっくりと日が落ちるのを待ったんだ…なぜって、日が昇ると同時に顔をあげた花なんだから、じゃあ日が沈むときは?って思ったからさ! あんのじょう、ひまわりはお辞儀するように、頭を垂れた。沈んでいく太陽に向かって、ゆっくりゆっくり頭をさげた」 テーブルの上の太陽の花が揺れる。 「ひまわりは太陽から落ちてきた種から生まれて、地面に根付いた。なんせ太陽から落ちてきたんだ、暑い時期しか芽吹けない。 いわば太陽はひまわりのおふくろさんだ。だから見守り、育ててくれた母親が地平線に沈んでいくと同時に、ありがとう、大好きです、おやすみなさい、ってこう、頭をさげる。感謝する。 明るい笑顔を見せておきたいから、いっつも太陽が向いてるほうを見てにこにこして、後姿を見せないようにする。 ひとつ、優しいことを覚えて、種がひとつ、増える。 ひまわりの種は、だからどんどん増えていく。実は最初はひとつの種しかなかったってことだ! ある時、ひまわりの花を見て泣いた子供が笑った、こうして種はひとつからふたつに増えた。 ある日、傷付いた旅人が通りかかり、ひまわりは自分の葉と花弁をちぎって与えて旅人を癒した。種は九つから十になった。 感謝されて、優しくなって、種がどんどん増えて行く。 いつかその種がひまわりの中心から溢れ出してぼろぼろと零れたら、ひまわりは太陽になれるんだぞ! すげえだろー!」 「すげえー!!!」 突然聞こえた声はゾロの入って来た開けっ放しの扉からで、ルフィは興奮した面持ちで笑う。 「すげえな、ひまわり! 早く太陽になれるといいのに!」 ひまわりが種を落とすとき、ライオンが牙をむいたときのようにぐっと前のめりになって、ぱきんと種が落ちる。 子供を地面にやさしく落として、種があふれたひまわりは太陽になる。 「なれないわ…」 茫然とした風に、ナミはひまわりを見る。 「なれないわ。だって、貰うばかりで与えた事なんてないもの」 欲張りだった子供は、わがままを言って母に駄々をこねた。それが子供の特権だと言わんばかりに抗議して、いつも困らせた。 『ナーミ』 呼ぶ声は明るく。 『ナミ〜!ゴハンできたよー!』 「ごめんね、ナミ。ごめんね」 頬を伝う粒に気づくと、慌てた様子で小さな船医がかけよってきて、困ったように見上げる。 「おれ…おれ、そんなつもりじゃ」 「チョッパーは悪くねえ。おれも思った!ナミみたいだなーって、だから貰ったんだ!」 「要領得ねえ話し方してもわからねえよ、クソゴム」 ルフィとサンジの言葉に、ナミは首を横に振った。 ルフィもチョッパーも、ひまわりを見てナミみたいだと 思ったそうだ。 どうしてだろう。 「ナミみたいでカワイイと思ったのにな」 あの女性と同じことを言う。 ウソップは上手に語った。ひまわりは太陽の娘なのだと。母に感謝して、こうべを垂れるのだと。 「ナミさん、ごめんね。俺も思った」 サンジは優しく、優しく笑う。 「ナミさんみたいで、可愛いなあって思っちゃいました」 「おれは、おれは、この花が好きだ」 ウソップもしっかりと頷く。 「精一杯生きてる花だからな!」 「この花食えるんだよな?」 ゾロは唐突にサンジとチョッパーを見て、彼らがうなずくのを見て微笑う。 「薬にもなるって聞いたことがある」 「…みんな、慰め方が下手ねっ!」 ナミは笑った。70点よ!とか言いながら、泣いて笑った。 「でも、そうね―――ちょっと好きだわ」 役に立たない花と決め付けたのは幼いナミの身勝手で、その花を見るだけで幸せになる相手がいるかもしれないと、その花を見ていとおしいと思うものがいるのだと、その花をみて嬉しく思うことがあるのだと、その花に好感をもってやまないのだと、その花は――― 決して、意味なく咲くものではないのだ、と。 美しいとは言えない、けれど素朴で優しい輪郭に種がしっかりおさまっている。 手にとって、少し引き寄せてみる。 決して蜜柑のような甘い馨りはしないのだけれど。 香ばしいような、土と、太陽の匂いがした。 ありがとう、だいすきよ。 そういってひまわりは笑うのだ。 (わたしじゃまだ、あなたに足りないわね) ひまわりの種の数に、到達していない。 「ありがとう、大好きよ」 そういって、ナミも、笑うのだ。 まずは仲間達のぶん。 彼らの数の、種を、心に抱くために。 |
■最初違うタイトルだったのですが、アホなことやらかして変えました。恥ずかしいので言わんけど。 ■大好きなナミさんのお誕生日ということで、せめてものお祝いのつもりで書きました! ■ココヤシ村を再出発して、「海賊」になったナミさんの笑顔は最高に可愛いと思うのです。 02/06/29 |
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