--------------------------------- Anywhere is




 『あの人は、嵐のような人なの。』







「マキノさぁ〜ん、俺と結婚してくれぇえええ!!!」


 酒場の店主などという仕事をしていれば、酔った勢いやらそうでないのやら、冗談やら真剣なのやら、口説き文句は毎日のように聞かされる。
 幾度となく聞かされるそのどれにも、マキノは慈母のような笑みをもって応えた。

「もう…飲み過ぎよ」
「あら、きのうは他の娘にそういってなかった?」
「…………ごめんなさいね」
 そうして最後に必ず付け加える。「もっといい人を捜してね」と。

 本当に相手のことを心配して、幸せな先行きを願うように言われては、それ以上男達も何もいえなくなる。
「マキノさん。誰か…将来を約束した人がいるのか?」
 真摯にそう問われれば、彼女の笑みは更に深くなる。そのくせ、まるで透き通るほどに。
「そんな人―――いないわ」
 ふぃと目を逸らして、お決まりの返事が返る。





 約束を、した人 なんて。




  ×     ×     ×     ×     ×

 今日、フーシャ村の若い二人が結婚式を挙げた。
 ささやかではあるが、小さな村の人が総出で祝杯をあげた宴であった。

「……マキノ、そろそろ家庭を持つつもりはないのか?」
 貸切で宴会の会場となったパーティーズ・バーを一人で忙しく片付けていたマキノは、不意にかかった声に顔を上げた。
「…村長さん…」
 酒場の隅にあるテーブルで、村長が酔い覚ましの水を煽りながら背を向けていた。
 山のように積まれた食器を洗うカチャカチャという音がいやに響く。
「お前のことだ、言い寄る相手がいないわけではあるまいに」
 トン、と音を立ててコップをテーブルに置き、窓の外に広がる夕焼けを見つめる。
 赤い色は切なくなる。別れの色だから。―――あの色 だから。
 思わず目を細めて俯いてしまう。
「それとも―――あの赤髪が忘れられんか」

 ガシャン!

 その音が何よりも雄弁な返事だったのかもしれない。
 泡だらけの手を滑り落ちた皿は、彼女の足元にカケラとなって散った。
 慌てて座り込んで破片を拾い集める。
「心配せんでも…わししか知らん」
 マキノの答えなど端から期待していないように、老人は独り言のように続ける。

「十年も前のこと、じゃぞ」
「…はい」
 カチャ カチャ

「相手は海賊じゃ。どこにおるのか…生きておるのかも知れん」
「……ええ」
 カチャ カチャ カチャ

「たとい生きておったとしても、もう他の女を娶っているかも知れんのだぞ」
「―――そうですね」
 集め終わったカケラを缶に入れ終わると、マキノは立ち上がって洗い物の続きをはじめる。

「でもね、村長さん」
 凪いだ海よりも穏やかな眼差しで、彼女は語り始めた。
「私は待っているわけではないんです。正直あの人がここに来るまでどんな生活をしてきたのかも、今どうしているのかも…全く知りません。あるものと言ったらあの一年の思い出だけ」
 一年、といっても実際にその半分以上は航海に出ていた。村にいる時だって、仲間といる時の方が多かった。
 海に出るときの楽しみでたまらないといった顔。
 海から帰ってきたときの満足感に満ちた顔。
 海での冒険を気のいい仲間達と語り合う時の、生き生きした顔。
 思い出せるのはそんなものばかり、自分に対してのものなんて、ほとんどない。
 陸から…この村から離れたことのない自分にとっては、彼の生き方が眩しいほどに見えた。


 ―――それは一種、憧れだったのかもしれないけれど。


「だから船長さんをあまり悪く言わないでください。何ひとつ縛り付けるようなことはしていきませんでしたよ」
 待て、とも 待つな、とも。
 自由を何より愛した男は、残酷なほどの自由を自分にも科していった。
 だから待ってもいないし、無理に他の誰かを捜すつもりもない。
「自分の意思だとでも言いたいのか…。ふん、女一人で酒場なんてやっとるだけあるわい。優しそうに見えて強情じゃ」
 呆れたような口調に、マキノはくすくす笑った。
「ふふ、でなきゃ酒場の店主なんて務まらないですよ」








『 あの人は、嵐のような人なの。
 不意にやってきて、その強大な力を振るっていく。
 嵐だから、当然去っていくの。
 与えてゆくものもある代わりに、奪ってゆくものも多くて。
 仕方がないわ、だって天災だもの。
 ―――誰もその行く手を遮れはしない。


 あんなに年若くて心が柔らかい時に遭ったのは、少し皮肉だったかしらと感じなくもないけれど。
 仕方がないわ、逢わなければよかっただなんて思うことすらできない。』









「ふぅ……」
 やっとあらかた片付いた店を見渡して、まくりあげていた袖を直すとマキノはため息をついた。村長が帰ったあとも一人で片付けを続け、キリがついたのはもう陽も落ちてからのこと。それでもおめでたい席のものなのだ、体に残る軽い疲労感すら心地よく感じる。
 まだ明日の仕込みや準備も残っているが一息つこうとマキノは手を休め、手元を照らす細いランプの明かりを頼りにコーヒーを淹れた。ゆるやかに立ち上る湯気が、疲れた目に優しい。
 普段なら今頃から人が集まり始めて夜更けまで賑やかな酒場も、今日は朝から貸切だと村人は知っているため客はいない。

 キィィ。
 外からのかすかな虫の声しか聞こえないはずのその場所に、突然小さく人工の音がした。
 店主はすぐさまそれが酒場の扉の開く音だと気付き、訪問者に声をかける。
「すみません、今日はもう―――………あら、いらっしゃいませ」
 申し訳なさそうに閉店を告げようとして一転、マキノは微笑んで迎え入れた。
 いつもと変わらないように。そう、いつかと変わらないように。
「……邪魔する」
 満月の明かりを背に受けた影は、記憶の奥底にあるそれとあまり変わらず。
 ゆっくりと店に入ってきた人物は、居心地が悪そうにその赤い髪を掻いた。




「船長さん、ラム酒でよかったですか?」
「ああ」
 カタン、と椅子を引いて、シャンクスはカウンタ席の中央に腰掛けた。
 昔から彼の指定席だった場所だ。酒場中の仲間を見渡せる特等席で、常に店主の正面に居られる場所で。よく小さな強敵と熾烈に獲り合った。
「ごめんなさい、今日はありあわせの物しか出せなくって」
「いや―――こっちこそ、店閉めてたのにすまねェな」
「ふふ、いいんですよ……どうぞ」
 マキノはランプをカウンタ席との仕切りの上に置くと、慣れた手つきで酒の入ったグラスを差し出した。
 明日の仕込みを始めた彼女の包丁がまな板を叩く小気味よい音と、シャンクスが傾けるグラスの氷の立てる音だけが暫しその場に流れた。
 時折ジジッと灯火がゆらめくと、壁に長く伸びたそれぞれの影もふわりと揺らいだ。

「………扉」
「ん?」
 マキノの独り言のような呟きに、じっと手のグラスを見つめていたシャンクスは視線を上げた。
「ここの扉、胸の位置にあるでしょ?昔ね、ルフィがまだ小さかった頃、手を伸ばさないと一番下にも触れなくて…すごく悔しがってたのを思い出しちゃって…」
懐かしそうに昔と変わらない笑顔で小さく笑う彼女に、男の心もふと和らぐ。
「ルフィか…あいつは思った通り大きくなりやがった」
 瞬時に海賊世界を駆け上がり自分を目指してきたかつての少年は、この十数年の間に立派な「海の男」になっていた。
 十数年――― 子供は大人になり、若木はその背を伸ばすのに十分な時間。
 それが目の前にいる相手と自分の間に長く横たわるモノ。
「マキノさん…まだ一人でここを切り盛りしてるのか?」
 昔に馳せていた目を再びグラスへと戻し、問うのに少々勇気を要する一言をシャンクスは口にした。
「ええ」
 刻んだ野菜をボウルに移しながら、意を削がれるくらい実にあっさりとマキノは返事を返した。
 小さく身を乗り出したシャンクスの髪がランプの明かりを受けてより赤みを深める。
「もしかしてそれは―――」
「いいえ」
 おれを、と男が言いかけた言葉を、彼女は忙しく動かしていた手をぴたりと止めて意外にも強い調子で遮った。
「待ってなんていません。船長さん、そんな事望んでいなかったでしょう?」
 そうだ、望んだのは相手の幸せと自由。自分の愛した笑顔が守られるなら、他の男と一緒になるのもいいと思っていた。
「あなたより惹かれる人ができたら、きっと迷いなんてしなかった」
 ただ、出逢わなかっただけで。
 ひたりと揺るぎない黒い瞳で見つめられて、シャンクスは一瞬戸惑う。
 この優しげな女性に秘められた芯の強さを眼前に見た気がして。
「おれもな、マキノさん」
 くい、と残った酒を煽り、カラランと大きく氷の音を響かせた。十年分の想いだ、情けないが多少酒の力でも借りなければ勢いがつかない。
「……いろんな所に行った。いい女にもそりゃあ逢ったよ。だが、覚えてるのはあんただけだった」
 不意に夜の甲板で一人になったとき。静かな波に揺られながら…3日前に離れた港にいた女の顔すら曖昧にしか思い出せない。
 おれも歳かな、と苦笑しながらも記憶を探れば、丘を駈ける風に黒髪を躍らせた優しい笑顔の面影だけがいつも鮮明に浮かび上がった。
 草を撫でる風のにおい、のどかに照らす陽光、「船長さん」と穏やかに呼びかける声までも―――
 それはどんなに殺伐とした状況でも、目を閉じれば現れる 永遠の場所。
 誰にも触れさせない、自分でも二度と触れるつもりもなかったはずだった。今回だって、元気な彼女をひとめ見たら声もかけずに去ろうと思っていた。

 なのに。

「…………今度のご出立は?」
 呟きに視線を上げれば、変わらない…それこそこの村を離れた時と同じマキノの微笑があった。
 時を経て変わったモノ、時を経ても変わらないモノ。
 変わらなければいいと思った、しかし自分が傍らにいて護る事が出来ないのに身勝手な願いだともわかっていた。
 それなのにこのヒトは…嵐に揉まれる若竹よりもなよやかで毅い。
「また海に出られるんでしょう?海を識らない私は一緒にいけない…見送ることしかできないけれど、だからこそ」
 灯火が陰影を刻む顔は昔と同じではありえない。それでも変わらなかった想いは確かにある。
「こうやって迎えることもできるんです……」
 優しいだけの笑顔だけでなく幸せそうなそれを浮かべさせたのは、時間と距離なのか。
 濡れた手をエプロンの端で拭って、マキノは組んだ手を伸ばして小さく伸びをした。
「―――さ!明日からは通常営業しますね。船長さん、クルーの皆さんは?」
「船は沖に泊めてある。あいつら―――飲むぜ?」
 うちも大所帯になったしなァ…今度はおれたちが貸切っちまうぞ?と、シャンクスは頬杖をついて問う。
「ふふ、皆さん変わらないんですね?じゃあ、お酒の在庫を見ないと」
 きっと大騒ぎの上に大忙しの一日になるだろうに、店主は実に楽しそうに いそいそ準備を始める。
 あの海賊達が訪れたと知れば、村人達だって冒険やルフィの話を聞こうとやってくるだろう。
「…………マキノさん」
「食器 食器……はい?船長さん?」
 棚の奥から予備の皿を運び出そうとしていたマキノの後姿に、かろん、と氷の溶けかけたグラスを弄いながらシャンクスは静かに呼びかけた。
 視線はグラスに向けたまま、口を開く。
「―――ただいま、マキノ」
 どちらかといえば独白に近い声だった。聞くのが相応しいのは夜だけ、月光だけ……そうして、彼女だけ。
 瞬間、薄闇の中ひくりと細い肩が震えた。
 泣いていたのかもしれない、笑っていたのかもしれない―――あるいはその、両方だったのかもしれない。
 ただ、それが収まるまでシャンクスは何も言わなかった。

 欲しい言葉がある。
 そのために戻ったといっても過言ではない。
 勝手だが…可能なら最高の笑顔付きが、いい。
 どんに気の狂いそうな暴風雨の中でも見渡す限りの海原でも、常に一点を指し続ける永久指針というものがある。
 還る場所へのエターナルポース。十年前に手に入れたそれは、いつだって彼女を指し示していた。
「……おかえりなさい、船長さん」
 暫くして丁寧に応えた声は、どれだけたってもは色褪せないであろう鮮やかで穏やかな笑顔を伴っていた。





  ×     ×     ×     ×     ×


 あの人は嵐のような人なの。

 その出現は不意。その退去は突然。
 予兆すら見せない、予見すらさせない。
 時には無遠慮なほどに…いたく自由で。
 留まる時間は少ないわ、むしろいない時間の方がずっと多い。
 それでも…不思議、心配なんて決してしない。
 だって嵐が無くなる事なんてないから。






 思いもかけず こうして訪うこともあるから。


■ここだけの話。
■このお話を書かれた江梨さんって、ワタクシシキヲにとってはマキノさんと凄く印象が似ておいでなのです。凛とした美人で、いつも穏やかで。笑顔が凄く印象的で。
■江梨ちゃんを投影したかのように、芯が強くて真っ直ぐに顔をあげる、マキノさんのお話。
■素敵なお話をありがとうございました。


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■魔人学園中心サイト。忍者さん御贔屓です(笑)他にバトロワ・ペルソナなどのイラストも描かれていらっしゃいます。素敵なサイトさんですヨー!

02/01/05

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