** くちびるChocolat **
***


 サンジは紳士だ。

 甘い匂いがした。サンジの作ったケーキの味。ココアパウダー、ホワイトチョコ。
 その甘さが口の中でふんわり解けるのに、喉につかえない。やさしい味。
 お茶はオレンジ・ペコをどうぞ。
「マドモワゼルのお好きな柑橘系の馨りを、是非。」
 気取ったパティシエ(にも、なれるオールマイティコックさん)はそうやってお辞儀をして、にーっと子どものように笑う。
「甘いものはキライじゃないわ。でも、こんなにあまくて美味しいものならどんどん食べちゃう。
 私を困らせたいの?」
 そう、レイディは常に慎重で、気を使わなくてはいけない。繊細なのだから。
「とんでもない!」
 慌てて、材料がどういったものか、どう工夫を凝らしてくれて作っているか、説明してくれるサンジは紳士だ。

 其処に通りかかった緑髪の剣士は一言。
「うあ。ゲロ甘ェ」
 食べてもいないのに、匂いだけで眉間に皺を寄せて、
「…」
 無言でくるりと身を翻すものだから、
「待って」「待てよ」
 綺麗にテノールとソプラノのハミング。
「なんだよ」
 うっとおしいと云わんばかりの空気を纏って、男は甘い匂いを遮断するような、一切柔らかさだの、穏やかさだのとは遠い顔で歯を剥く。
「てめェ、俺のおやつを食いもしねェで嫌がるとは、どういう了見だコラ」
 紳士は一転して柄悪く肩を怒らせ、
「サンジくんが折角作ってくれたのよ。一口ぐらい食べたらいいじゃない」
 オレンジの髪の彼女も口添えしてみる。

 多分、無駄なのだろうけど、無駄じゃない。
 繰り返さないといけないのだ。だって、実際ゾロは忘れっぽいし、甘いものは苦手そうだけど、食べられないほどキライというわけでもない。
 この優しい空間は、ナミにとっては心地よくて、サンジは優しいし、まるでお嬢様気分を味わえるし…そしてやんちゃな船長達がやってきて、豹変したコックさんに叱られて、笑って。
 和やかで、やさしい時間。元気で明るい時間もいいけれど、前者のほうにゾロが加わってくれればもっといいと思う。
「要らねェ」
 きっぱり、一線を引く男を協調性のないやつだと思う。
「匂いだけで胸焼けがする。だから食いたくない。厭だ。以上だ」
 多分、奴は糖尿病にはならない。
 ノン・シュガーだからだ。

 あんまり躊躇いもなくゾロが云ってくれちゃったもんだから、噛みつかんばかりに怒鳴ろうと口を開けていたサンジの唇と蹴り上げた足は居場所を失って。
 ナミは紅茶の最後のひとしずくを唇に湿らせて、つぶやく。
「鬼ぃ」

 ゾロは鬼だ。

 慕わしいひと、あなたにはツノとキバが生えている。きっと。




***




「ナミ、悪いこた言わない。良く聞きなさい」
「なあに? ドクター。改まって」
 傷痕は残る。それでも最善を尽くして治療を施してくれた老医師に視線を投げて、ナミは笑ってみせた。
「もし、あの船に乗るんだったら、あの剣士には近づかないほうがいいわな」
「なんで?」
 例えば無茶したり、とんでもないことをやらかすのはルフィだ。
 確かにゾロもそうかもしれないけど、予想だに出来ないことをやってのけるのはかの爆発的なパワーを秘めた船長だし、ナミにラブコールを送ってきてやまない、あの新しいクルーのコックさんだって、若い娘≠ヘ近づかないほうがいいかもしれない。
「だって、あいつ寝てるだけよ。普段は」
 一生のうち、きっと起きてる時間のほうが短い奴だと、ナミは云い切る。
 起きてるときなんて、見張りとか、鍛錬とか、御飯時だとか。たまにルフィやウソップと遊んでいたりもするけれど、大抵は大きな鼾をかいて寝ているのだもの。近づくもなにもない。
「あれは死に至る傷だな、ナミ」
 男は死を飼っている。
 熱に浮かされたかのように、死に勝っている。
「ああいう奴は早く死んじまうんじゃ。悪いこた言わない」
 ナミは小さく笑って、頭を振った。
 オレンジが揺れる様を、ドクターは悲しい眼差しで見つめる。
「ナミ」
「ドクター。そんなの、わたし、よくわかってるわ」
 ケーキをきっちり等分カットするように、はっきり、丁寧に、言葉は舌の上で弾む。
「そうよ。多分、ああいうのが一番早くに死んじゃうの。
 でも、恰好良くて醜くて、無様で、一途で、
 それはわたしが一番、知ってる」
 ひとは死ぬのだ。必ず、死ぬ。早く死ぬ、遅く死ぬ。
 でも本当に早い遅いなど、あるのでしょうか。
 寿命を基準に考えて、本当に早い遅いなどあるのでしょうか。
「ベルメールさんは死んだ。あたしやノジコは生きてる。あいつも生きてる。
 でもベルメールさんは死なない。あたしだってノジコだっていつか死ぬ」


 ベルメールさん。
 あなたの娘は、たんなる強がりを云っているだけに思う?



***



 次のおやつはシンプルなスコーン。
 でも、噛むとがりりとして、歯ごたえがあってまたそれがいい。
 鼻をくん、とひくつかせて、警戒していたゾロも、がりがりばりばりと音を立ててスコーンに齧り付くルフィたちを見て手を伸ばした。
 サンジがしてやったりと、ほんの一瞬笑うのをみて、ナミもなんだか可笑しかった。
 甘いのを警戒する、海賊狩りのゾロ?
 あんな、鬼みたいな眼をして、凶悪ヅラで、不敵に相手を脅しつけるくせに?
「はい、お飲み物ですよレディ。
 おら野郎ども、てめえらにもついでだ、ついで」

 馨り立つのはショコラ。マシュマロの浮かんだ、濃いカカオの海。
 ゾロの頬が引き付くのを眺めて、まだ甘いのは駄目なのね。と思った。



 きっとあいつとキスする相手は、アルコールの味しか知らないのですね。



***



 ルフィ、ウソップ、サンジ。
 みんな大号泣で、涙と鼻水で顔がぐしょぐしょで。
 たくさんタオルが必要だ。天気が良ければ石鹸でごしごし、お洗濯しよう。
 お日様の下で乾かすのがいいのだ。潮風に煽られて少ししょっぱいけれど、きっと気持ちのよい風合いになる。
 熱に朦朧としながら、ビビが最高速度を願ってくれたのは、本当に嬉しかった。
 折角仲間に…ともだちに、なったのだから出来るだけのことをしてあげたい、と思うのはナミだけではないはずだ。冗談めいて笑って、ふざけて、コミカルに表情を変える連中が実は真剣なのだということ、いたいくらい、真剣なのだと。
 そんな連中だ。今度だってマジだ。いつだって、本気だ。
 多分いままでもこれから先も、厭というほど味わわされるのだろう。
(だるい)
 身体全体が火を灯したように。全身の筋肉がだらしなく弛緩しているのがわかる。指を動かし、瞬きをし、唇をふるわすだけでも億劫なのだ。
 ルフィ、ウソップ、サンジ。
 だから、この連中が喚くと結構鼓膜に響いて、骨が軋むような感じがするのだけど―――そんなことをいうとイヤミじゃない?
 死ぬなだって、死なないわよって答えを返したいのに。
(―――みず)
 でもこんな夜に限って、血も涙もない…ああ、でも、
(無駄に大量流血)
 ゾロが腕組みしてうたた寝して、ナミの様子を見に来てた。

 航海士が倒れて、普段のサイクルが崩れた分、クルー全員がフォローするのは当たり前。看病に徹しているビビが少しでも休む間、こうして誰かがひょいと顔を出す。
 なにも出来ないのだけど、なにも出来ないと泣いてるだけよかいい、とは誰の言葉だったろう。

(でも、寝てちゃあ意味ないのよ、ゾロ)
 笑うと胸に響いて痛い。
 けど、なんだか可笑しいのはゾロが無防備に寝こけているからだ。
(子どもみたい―――あ、よだれ)




 音もしないで眼が開いた。鋭かった。遠い眼差しだった。
 視線が合った。けど、遠い眼差しだった。
「起きたのか」
 寝起き特有の、普段より更に低い声。
 低い声が全身を振るわせた。声だけでこうして共鳴する身体になってしまった今、放出し切れない熱は瞼に、じっと、集まってくる。
「うん」
 ナミの掠れた声だって、まるで童女のようにつたない。
「ゾロ」
「あ?」
 病人を前にしても、態度の悪い男だ。しかもこれが自然体ときている。始末におえない―――。
(でも、これが、ロロノア・ゾロ)
「ゾロ、キスして?」
「…はあ?」
 寝癖をがしがし掻き毟りながら、くあ、と大きな欠伸をしたゾロは、
「―――はあ?」
 理解しきれなかったようで、もう一度繰り返す。
「なんで」
「あんたねえ」
 此処で、少し喉が苦しくなってぜいぜいと掠れた息を吐くと、肩幅の広い男は背を丸めて近寄り、無言でナミの背中をさすった。
「―――どぉも」
 無頓着は腹立たしい。キスを求めて何でときいてくる鈍さも、こうしてためらいなく手を貸す仕草も。全部―――変になる。
「喉かわいた」
「水がある。飲めるか」
「…飲ませて」
「おう」
 厭になる。
 少しはね。可愛らしくてとびきり美人な航海士が、病気に伏せって苦しんでいるこのシュチュエーションに、なにか感じないものなのか。
「少し、起きあがれるか。今グラスを」
「無理よ。だから飲ませて」
 なにも云わずに、唇だけぱくぱくと開閉させることで…やっとゾロが片眉を上げてみせる。
「口移しは、キスじゃないわ。」
 確かめたいのだ。味のしない水で。














 ゾロは、透明な眼をしていると思う。
 すべてを貪欲に飲みこんで、自分自身の為に生きるエゴイストだ。
 それでも、なんて透明な眼であろうと惹かれる。
 だから、甘い色に染まることもあるのか、とか。
 もっと、なにか感じてくれないか、とか。

 あのくちびるが、すこし、笑って
 ―――期待している。

 たぶん、すぐ死んでしまう男に対して過剰なほどに。



「いいよ」
 ごめんね、無理しないでいいわ。
「あんたにも、感染っちゃうとまずいものね。悪いんだけど、ちょっと、起こしてくれる?」
 一人で起きあがるのはやっぱりしんどくて。
 熱のせいで、きっと、そのせいで、まぶたが腫れぼったくて、ひと雫、ふたつ、透明な水滴があふれて、頬に散ってちりちりする。
「―――… …」
 かぱっと開けた口は何を言ったのだろう。
 焦点があっているよで、あっていなかったあの恋しい双眸は今、ナミだけのものになっている。
 ナミだけを見ている。
 でっかい手がナミのオレンジの後ろ髪を引き寄せて、
 薄いんだか厚いんだかわからない唇から微かに湿った息がして、




「―――無神経」
「あァ?」
 眼を剥いて、嫌そうにゾロが顔をしかめる。
「てめぇがしろって」
「うつっちゃったら、どうすんの」
「平気だろ」
「ひどい。私がこんなに苦しんでるのに、あんたも苦しめ」
「―――鬼みてえな女だな」
「鬼はあんただ!」
 ほっぺを摘む指くらい、ふるえないでください。
「痛いんだから、ゾロ!」
 涙が溢れるくらい。
「―――あんた、いっつもそう」
 いつもそう。自分で自分を斬ったりさ。無茶苦茶してさ。
(挙句にわたしが知らないうちに斬られて、大怪我負って)
 縛られたまま海に笑いながら飛びこむなんて、変態。そのくせ、ひと一人殺せない小物、とか罵って。無茶して。滲んで。赤くなって、また倒れて。
 ―――足を切断しても戦おうとして。
「死ぬなら、わたしの見て無いところで死ね!」

「物騒な女」
「うるさい、マゾ」
「あァ!?ふざけんな」
「ふざけんなは、あんただ」

 それでも咳き込んで顔をしかめると、ぎょっとしたように肩を支えてくる手はちょっと乱暴で、優しくなんか出来ない手―――でも、なく。
「見てるほうが、痛いのよ」


 はやくに死ぬなら。
 わたしを殺して死んでいけ。
「わたし、あんたが死ぬの知りたくない。見たくない。でも、どっかいくな」


「や」
 能天気に首を横に振って、ゾロはなんだかちょっと面白そうに笑った。
「当分死ぬ予定はねえし」
 寝ろ、バカ、とベッドに押しつけられて。
 近いところでゾロは笑った。
「行かねェ。もし、行くとしたら一言云う。それほど俺は薄情じゃねえぞ。
 そしたら、あとはお前等が…ナミ、おまえがなんとかしろ。俺はしらねえ」




***




 そのとき、ゾロからはアルコールの匂いはしなくて。
 水は、ただ、ゾロの味だけ教えてくれた。
 凄惨な血を、ばかみたいな生き方を、厳粛な剣を、不器用なやさしさを。
 後から聞いたら至極当たり前な口調で、
「一応病人がいるのに、酒なんて呑んでる場合か。アホ」




「…きらい。ゾロなんか」
 だから視線をずらしなさい。
 隣にわたしがいることを認めなさい―――認めてる?
「鬼みたいね、ゾロ。だいすきよ」


 くちびるが生きたカタチで笑うから。

 甘い味はしなくとも。











■タイトルはこれで「クチビルショコラ」と読みます。ややこちいです。
■出だしはなんかサンナミくさいぞう!と見せかけてゾロナミです。
■何だか突然ゾロビビが書きたくて、書きたくて悶え苦しんでいたら何故か書きあがったのはゾロナミでした。何故!!!!!
■ゾロが酷いです。てか私が酷いのか。
■片思い?くさいのが大好きなので、ナミは泣いたり笑ったり怒ったり。ごめんね、ナミさん。大好きなのに。
■今日(てか昨日)いっぱい頑張ったアケコにあげる。いらんとゆうても。(いらんかすまん)

02/03/18

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