+ 月さえも眠る夜 +
Night when even the moon sleeps




「月のねェ夜は淋しい」

 眼を瞑ると、ぼんやり月明かりが瞼に降り注ぐ。
 その明るみを楽しむのが、好きだった。

 瞼を閉じて薄皮一枚透かして、月を仰げば真っ白な靄の中にいるような、不思議な感覚に陥る事が出来る。まるで陶酔しているようだ―――あるいは溺れているのかもしれない。
(海賊が溺れてちゃあなあ)
 恰好がつかないその様子を想像して、赤髪のシャンクスは口元を緩めた。
 溺れるで思い出した。小さな友人の姿。今ごろ結構気に入っていた麦わらは彼の頭におさまっているだろうか。…最初に渡したときは、おかしいくらいぶかぶかだった。けどそれを泣きながらも、懸命に受け止めようと唇を結ぶ友人を誇らしく、思った。
(ああ、お前が生きててくれてよかった)
 本当に思った。
「返しに来い」
 そう口をついて出たときも、ルフィは必死に涙を堪えていたっけ。




 …涙…?




「マキノが」
 おれが溺れて死にかけたって知って。おれと、シャンクス。二人とも危ない目にあったって知って。
「泣いてた」
 泣かしてしまったと、打ち明けたルフィの神妙な顔がぼやけていく。




「いつも、あんたは笑ってたのに」
 涙なんてシャンクスの前では見せてくれなかったのに。
「―――ルフィの奴にだけは、見せるのかあ」
 いいなあ、なんて。本気で思ってしまう―――マキノさん。
 静かな瞳。大きくて印象的な、深い海の底の色。

 月光は彼女を匂わせる。穏やかで、常に優しく微笑んでいるのに、とどかない。
 真っ直ぐ中天の頂に、冴え冴え輝く夜の月に手を伸ばしたところで、とどくはずもない。
 頑なに目をつぶってこちらを見ようともしてくれない風にも思える。綺麗な眦、動かぬ眉…凛とした唇―――どんなにシャンクスが望んでも、月はただただ微笑むだけで、語ってはくれない。
 ―――なにも、語ることはないのだ。
 彼が気に入っていた気取らない笑顔で、
「船長さん」
 と囁いてくれることは、ないのだ。


「…っかしいなあ」
 ここ数年、ルフィのことを思い出すことはあっても―――フーシャ村自体を、マキノを思い出すことはなかった。薄情だといわれても仕方がない。ルフィは大事な友人で、マキノは彼の保護者のような存在だった。
 一年、あんなに世話になったのに、これだから海賊ってやつは困る。

「…はは。違うか」
 わざに、思うことを止めていたのかもしれない。

 思うと、今にも身を翻して東の海に向かいたくなる。豪華絢爛の宝にはちいっとも反応しない欲が、一心不乱に指を突き出す。あれが、欲しい。
 シャンクスは海賊の頭だ。例に漏れず欲深いのだろう。欲しいと思ったら単身飛び出していきかねない。それを自制してやっと、今の自分がいる。
 唇を結び、目を輝かせ、前進するのが楽しくて仕方なかった。
 人生最大の、命がけの遊びをする―――それが大前提であり、そのためにはもう一つの感情を丸めて押さえこまなければ、ならない。
「―――奪いに行けねェ」
 もしかしたら、行くことすら出来ずに終わるかもしれない。
 海は何が起こるかわからないのだ。ルフィとの再会は信じている。あいつは簡単に死ぬような可愛いやつではないし、自分だってそうだ。彼との再会は本当に楽しみにしているのだから…しかし、彼女は、違う。マキノさんは、違う。

 薄情な海賊の中では、もう、彼女は思い出なのだ。
 枯れ果ててしまわないよう、色褪せてしまわないよう、しっかり封をして心にしまって。
 思い出し続けて、彼女が自分の中から少しずつ、消えていってしまうような気がした―――なんて、笑われてしまうだろうか。

 思い出さなきゃあ、いい。大好きな生き方に没頭できるし、無茶だって出来る。彼女の瞳や、やんわりとした口調。思い出さなきゃあ、マキノさんはシャンクスの中で生き続けるから。消えてしまわないから。ずっと、心のどこかが覚えていてくれるから。…忘れないから。






「…大変だ」
 記憶力が悪いほうじゃあない。なのに、瞼を閉じても―――彼女の笑顔が見えないのだ。
 声が聞こえないのだ。
『…………』
 なにか、言ってくれているはずなのに。その言葉すら消えてしまう。





 瞼を落としても、目を見開いても。
 見えるのは深淵めいた夜の海と境目のない空。―――闇だけだ。

 月がいない。シャンクスの中の記憶のように、闇の中には月だけ、いない。



 素敵なひとだったとか
 気立てがよくて笑顔が魅力的だったとか

 そんな単語めいた記憶なんて、どうでもいい。

 ただ思い出したいのはリアルな彼女そのものだ。
 
 消すな
 消えるな
 消えてしまわないで

















「…………」
 月も星も導かない航路は、進みたい道ではない。
 彼女が幸せならそれでいいとか、そんな風に思えるだけなら―――こんなに焦がれるのはおかしかろう。滑稽だろう。
(そうだ、おれは溺れた。ルフィのことを笑えもしない)

 夜の海に溺れた。とどかない月を掴もうとして、それでもこの身体は海に縛られている。波に揺られてどうすることもできないまま、水面に写る月にキスするだけ。


「…あんたが好きだった。でも、またおれはあんたを忘れる」
 そしてまた冒険するだろう。焦がれたことも溺れたことも忘れて海で生きる。
 再びまた、逢えることを切に願うには、あまりに。

「おーし!寝るか!」
 うきうきしながら寝酒を引っ付かんで船室に戻る、シャンクスの顔に迷いはなかった。
 彼の中には常にあの光りがある。もうかなり霞んで、ぼやけてしまったけれど。
 確かに存在している―――今は少し、忘れてしまうけれど。


 でも、それでも。


 夜空を仰ぐ。
「―――夜よ、終われ」


 あんたのいない夜を惜しむ。







 
■シャンクス独白です。時期は原作と同じくらいかと。
■常に思っていることは出来ない。常に思えるはずもない。日常は忙しくって、考えなきゃいけないこと、やらなきゃいけないことがたくさんあるから。
■だけれど心の中に不思議なくらい、それは自然に存在していて。
■不意に、なにかの拍子にそれが突然顔を出す。

■うろたえてしまうほどに。

■Night when even the moon sleeps…月さえも眠る夜、はThe BOOMの曲より。

02/01/18 実はmy birthday(笑)

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