+ Little Song +
やさしい雨


 彼女は優しい匂いのする女性だった。
 いつも穏やかに微笑んで、春の風のように柔らかく、秋の静謐さを湛えたような眼差しをしていたっけ。

 そうそう、いつも自分が退屈しているとき、
 不て腐れているとき、
 やさしい声で歌ってくれた。

 いったい、どんな歌だっけ。

 懐かしい風車を目を細めて見上げて、ルフィはその道を辿った。
 何年経っても、こういった記憶というのは忘れないのだ。
 変わりのない光景。回る風車にのどかな街道。ゆっくり海沿いの道を歩いて丘をあがれば、すぐに小さな村が見えてくる。
 優しくて切符のいい八百屋のおばちゃん。奥さんと喧嘩してばかりの魚屋のおっちゃん。あの家の裏には、野良猫が何匹か住みついていた。ルフィが最後に見たときは、真っ黒な仔猫が産まれ立てだった。
 もうすぐ、彼女の店につく。
 こうして何年も経てば、なかなかどうしてルフィだって大人になるのだ。
 今よりもっと無茶なことをやれた若い頃―――(といっても、仲間達はお前は今も昔も変わんねぇよ、と口を揃えていうかもしれないが)考えもしなかったことだけれど。もしかしたら…彼女にずっと世話になったルフィと、その兄の、例えるなら初恋めいたその淡いキモチの相手が、彼女だったのかもしれない。
 あるいは、ルフィとエースに理想の女性観を植えつけさせるには充分なくらいに、彼女は素敵な女性だった。今も、きっとそうだろうと思う。
 なんといえばいいのかわからない。彼女は、彼女だ。それ以外のなんでもないはずなのだが、思うようにしっくりくる言葉が見当たらない。
 姉さんだった、といえばいいのか。優しく面倒を見てくれた、いつも微笑みを絶やさなかった。

「ただいま!!」
 戸を開けて、大声で怒鳴る。
「マキノ、ただいま!!」

 ああ―――違う。

「お帰りなさい、ルフィ」
 しなやかな優しい腕と、やさしい声色。
「お帰りなさい。」
 彼女は―――そう、慈母のような。



 “あなたの側に雨が降る。
 輝く夜空に雨が降る。

 太陽 と 月が恋をして

 決して触れ合わず ほんの一時見詰め合う

 遠い遠い、恋をする”

--------------------------Little Song



 少年は、精悍な青年になって生まれ故郷に帰ってきた。
 もはや世界でモンキー・D・ルフィの名前を知らぬものはいないだろう。彼は幼い頃の夢をもぎ取り、堂々と帰ってきたのだから。
 マキノはパーティーズ・バーの奥の部屋で、微笑みながら愛しい子を迎えた。
「ごめんね、ルフィ。こんな恰好で」
 春先に、流行り病が小さな村を襲った。その時の余波が、まだ、マキノをベッドの上に繋ぎとめている。
「いいさ、無理するな」
 にぃっと笑ったルフィの声は、昔のいたずらっ子のような、無邪気さをそのまま残していて、マキノは微笑んだ。

 宝払いをするっていったろう、と。
 ルフィは飽きることなく冒険の話しをしてくれた。フーシャ村を出て直後、すぐに遭難してしまったこと。村を出て初めての友達ができたこと、はじめての仲間は今は伝説の大剣豪なんだそうだ。いろんな街にいって、たくさんの海賊と戦った話しのあたりでは、昔は要領を得ない話し方をする少年だったが、今こうしてマキノに聞かせる楽しい話ときたら…まるで詩人か語り手のように話しをしてみせるものだから、マキノも声を立てて笑った。
 いわく、話術に富んだ自慢の狙撃手に教わったらしい。マキノにどうしても冒険の話しを聞かせてやりたくって、というから、少し、じんわり、目じりが温かくなった。
 マキノが病気だって聞いたから、うちの船医もつれてきた! すごくいい医者なんだ! と絶賛するルフィの言葉に、嘘なんてないだろう。

「もっと、聞かせて頂戴」
 ルフィの声。ああ、無邪気で優しい、いとし子の声。
 深みを増した声色は誰もを引き付けるような不思議な音で出来ている。
「うん。もっとな!」
 とてつもなく大きなクジラや、遥かに大きな巨人と友達になったりした。グランドラインは凄かったと笑う。そうそう、途中でエースにもあったんだっけ。元気だったぞ、エース。
 長い話だった。とても一晩では終わりそうにもない、果てしなく長い冒険の話し。
 
「ルフィ」
 どこかあどけなさの残る、艶やかな声。
「あ、ナミ! マキノ、あのな、ナミだ!」
 先ほどまでの語りがまるで嘘のように、まったく要領を得ない紹介の仕方に、マキノも、そして海賊王専属の航海士も笑った。
「久しぶりなのはわかるけれど、あんまりお喋りしてるとマキノさんが疲れちゃうわ」
「ん、そりゃ困るな」
 すっかりおとなしくなったルフィに隠れてこっそりマキノは笑う。
(そう。…そうなのね)
 本当にルフィは大きくなってしまったのだ、と思うと、どうしてか切なくて、誇らしい。
「ナミさん、お会いできて嬉しいわ。こんな恰好で、ごめんなさい」
 手に触れてきた温度は、ルフィより少し低くて。気遣う指をしていた。
「いいえ。こちらこそ、お会いできて嬉しいんです。
 他の仲間たちも貴女に逢うのを本当に楽しみにしてきました。
 だって、貴女はルフィの―――私たちの船長の、自慢の…」
「そうだ!おれの自慢の母さんだかんな!」



 心に津波が起きる瞬間。凪いでいたはずの穏やかな景色が、目まぐるしく変わって、マキノの中で竜巻を起こした。


「…ルフィ」
「マキノはいつもおれの面倒を見てくれて、いつも優しかっただろう。
 エースがおれの兄ちゃんなら、マキノはおれの姉ちゃんかもしれない。
 マキノは若いし、おれの母さんにするにはちょっとシツレイかもしんねーけど、やっぱり、マキノの手はいちばん、やさしい。
 そういう温もりを持ってんのは、マキノだから。
 だから!マキノはおれの母さんみたいなもんだと思った」
 駄目か? なんて。
 ああ、きっと。子どもの時のように…小首を傾げて聞いているんだろう。
「そうね」
 マキノに結局子どもは生まれなかった。一人身でずっとこの小さな酒場を守ってきたけれど。
「あなたは自慢の息子よ、ルフィ」
 抱き締めた腕の中で、青年が小さく、照れたように身じろぎするのを、感じた。






「村長の墓に寄ったよ」
 低く穏やかな声色に、マキノは目を伏せながら聞き入った。
「…あなたが、海賊王になったって。ひとつなぎの宝を手に入れたって聞いたとき、村長さん、泣いてたわ。
 どうしようもない、恥さらしで、けれど愛しい、なんて子どもだろうって。
 あなたが帰ってくるのを本当に楽しみにしていたのよ。
 怒鳴りつけてやろうって。そのあとお前さんはあの悪戯小僧を、抱き締めてやれって」
「じいちゃん、素直じゃねえなあ」
 しししっと笑ったルフィはふと顔をあげた。
「…マキノ」
 マキノが顔をあげて、なぁにと首を傾げる。
 ルフィが大好きだった、その瞳に自分が映ったのを確認してから―――ルフィは唇を開いた。

「マキノ、おれが見えるか」

 凪いだ夜の海のような、そんな目をした女性だった。
 そのなかに、優しさや、慈しみや、人をいとおしむすべてが注ぎ込まれた、泉のような女性だった。

「…………見えるわ」
 焦点の合わない黒い瞳は、まるで夢を見ているかのように揺らいでいる。
「立派になった、ルフィの姿。ちゃんと、見えるわ」
 わたしの心が、あなたを見ているから」


「うん。わかった」
 彼女が。
 マキノという女性が、わたしは一人身で何も残すものがないから、と。
 流行り病にかかった村人の看護にあたったことは、聞いていた。
 年のためか村長が息を引き取り、彼を最後まで看取っていたマキノもその病に身体を壊し、寝室に横たわる日々が続いたこと。
 細くたおやかなその身体を病魔が貪り、彼女の黒目がちな瞳から、光を―――奪ってしまった、こと。
「マキノは変わらないなあ」
 優しくて―――優しいだけじゃなくって。
「まあ、ルフィ。……そんなこと、ないのよ。すっかり年をとってしまって」
 恥ずかしいわ、とはにかむ彼女は―――本当に美しいと思う。
「いや、マキノは綺麗だぞ。おれもエースも、取り合ったもん」
 凛としていて。
「もう、冗談は…」
「そうそう、エースだけじゃない。シャンクスに取られないよう、おれすごい頑張ってたんだからな」





 懐かしい名前が




 鼓膜を、しずかに、打つ。






「…船長さん…?」
「マキノが元気になりますように、と思って!」
 ドアの開く音。
 誰かが、足を踏み入れる音。
「―――宝払いするって、ゆったろ」
 風に融けこんで馨る、海の匂いと。












「…マキノさん」
 懐かしい低い声。
「久しぶり、マキノさん」


 まるで雨が降るように。
 頬を、ほんとうに優しく、触れゆく指先。
「―――船長さん」
 いつのまにか、ルフィと、そして彼の航海士が部屋を出ていったことに気がついた。
 宝払いするから!
 そういっていつも料理を、御菓子を、マキノの話しを…歌をねだった少年が残して行った、大きな宝物は、少し居心地悪そうに、椅子の上で身じろいだようだった。
「いやあ、すまねェ。なんか…持ってくりゃあよかったんだけど、グランドラインから突然あいつに引きずられて来たもんだから手ぶらで…」
 しどろもどろに言い募る懐かしい声に、マキノはくすくす微笑った。
「いいえ、気になさらないでください。船長さん…お元気そうで、なによりです」
 おかしなことに。
 目が見えなくても、ルフィの姿が想像できた。立派になった少年。連れ添う明るい眸をした女性。本当に、大きくなったのだと―――実感できたのに。

 目の前にいるはずの、赤髪の男がいっかな見えてこない。
 十年以上だ。遥かな昔のことのようにも思える。
 ―――彼は…彼は―――その間に、偉大な海賊として名を馳せて、果てしない海のどこかで海賊業を楽しんでいたのだろう。
 あの時の陽気な仲間は元気だろうか。とたん、マキノの耳の奥で騒がしい音がする。
 小さなマキノの店を占領した、豪快な笑い声。愉快な海賊たちの歌声。調子外れなものから、なかなかに渋い声を響かせるものまで…たくさん、響きかえった。
 昔の姿なら、克明に甦る。
 何度も何度も思い出したから、記憶から擦り減ってしまっていると、思っていた。
 なかでもいっとう豪快に、歯を剥いて笑う青年の姿。
 荒くれ者の海賊たちを魅了してやまない、偉大な青年の姿。

 あれから、何年も―――
 何十年も、経ったのに。

「お帰りなさい、船長さん」

 あの時と同じように、笑えていますか…?


「―――マキノ」

 深みのある声に抱き締められて、申し訳なく、目を閉じる。
「…ごめんなさい…」
「謝らねェでくれよ」
 困った声がすぐ近くで響いて、目を、閉じる。
「―――ごめんなさい、船長さん。折角訪ねてくださったのに…」


 あなたの顔が―――見えない。





 随分と長い時間が経ってしまった。
 昔の恋だと―――思っていた。
 相手にはもういい相手がいるだろう。
 きっと、隣で笑い合える、似合いの二人でいるだろう。

 互いにそう思っていた。
 幸せで、笑っていてくれればそれが一番だと思っていた。
 片方は海の上でしか生きられず、
 片方は陸の上で生きていたかった。

 忘れたこともあった。
 それでもふとした瞬間に思い出してしまった。
 なおも、忘れようとした。
 けれどもなにかの瞬間に思い出すことになった。




「攫っちまえばよかったって、正直、何度も思ったよ」
「無理矢理でも攫っちまえばよかった。海に、連れ出せばよかった」
「けど、おれはあんたをずっと、笑わせてやることができない」
「おれは海賊だ。根っから、一生、海賊だ」
「ひどいこともするし、命をかけて海賊って遊びに身を投じる」
「海の上では誰かを一番に考えることなんてできない」
「おれは、誰のものになることもない」
「誰かのものになることは、できない」
「けど、海賊ってのは欲張りで、欲しがりなんだ」

「ずうっと、あんたが欲しかった」


 目の前は闇。
 それでもなぜか、視線が強く絡み合っていると―――今なら、わかる。


「…わたしも何度も思いました」
「あなたは誰かのものに…誰かだけの、ひとになることはありえないのだと」
「あなたも、ルフィも、同じ目をしている」
「本当に、冒険が大好きなのね」
「一つのところにとどまることのできない、嵐を抱えて、生きている」
「生きることで、輝いている…まるでお日様みたいなひとなんだって」
「でも、おなじところに太陽が留まっては、水は干上がり、草木はしおれてしまいます」
「……あなたは―――行って、よかったの」

「とどまってはいけなかった。まして、わたしを…選ばなくてよかったんです」




 すっかり頬がそげてしまった。
 随分と見るに耐えない容貌をしていることだろうと、マキノは強く、唇を噛む。
 立派になった少年と、いつしか見送った偉大な海賊を前に、マキノは一人―――病んでいる。
 そのことがひどく後ろめたくて、心が苦しい。
 息が出来ないほど――――――苦、しい。

「チャンスをくれないか?」
 美しいひとのまなじりに浮かんだ、雨のしずくを唇で縫い取ろう。
 驚いた顔、困った顔、少し怒った顔に、無邪気な顔―――笑顔。

 あんたを思い出すとき、あんたは…全部笑顔だった。

 どこか、さみしそうな。それでも、やさしい笑顔だった。

「泣かしちまったら、ルフィにすげえ怒られるなあ」
 頬をなで、そのときばかりは自分の隻腕がちょっとだけ残念だった。
 失ったことに後悔はしていない。けれど―――もっと、力いっぱい、彼女を抱き締められたらと、赤髪の海賊は思う。

「俺の船にも、ルフィんとこにも、そりゃあ自慢の出来る船医がいる。
 全力で、あんたを治してみせる。

 だから、マキノ。そんな、諦めた風に笑うな」

「船長さん…」

「順番が逆だぜ、マキノさん。
 俺を置いて逝くな。
 随分…随分、遅くなっちまったけれどな、俺はあんたと生きたい。死ぬときゃ、あんたと、おれとあんたのガキと、あのうるせェ仲間たちと、ルフィの奴に看取らせて逝くのが俺の予定なんだ。当分、先だけどなァ」

「……どうして…」

「顔を、覆わないで。
 あんたはきれいだよ。本当だ。俺ァ嘘がニガテなんだ。
 あんたの顔を見せてくれ。ずっと、ずっと見たかったんだ。
 俺の顔がわからないんなら、飽きるまで触ってくれよ。
 あんまり面白くもないかもしれねぇが、指で、俺の顔を見てくれ」

 まぶたに―――。
 熱が宿る。

「もう、あなたに、お会いできないと思っていました」
 静かに息を引き取る瞬間まで、思いをひた隠しにしていようと、思った。
「船長さんの、顔が、みたいです」
 もう、これ以上望むのはやめようと―――思っていた。

「船長さん、はやめてくれよ」

 笑い声が響く。


 確かめて。あなたのすべてで。



「―――シャンクス」







 “あなたの側に雨が降る。
 輝く夜空に雨が降る。

 太陽 と 月が恋をして

 決して触れ合わず ほんの一時見詰め合う

 片方まぶたを閉じるとき
 片方せつなく目を開き
 片方まぶたを閉じるとき
 片方やさしく声を出す

 空の間に雨が降る。
 星がくだけて雨になる。

 太陽 と 月が恋をして

 間にやさしい雨が降る。
 しずかにやさしい雨が降る。

 涙にかわって 雨が降る。

 遠い遠い、恋をする”






シャンマキ発作、起こる。
■シャンクス×マキノ小説です。しかもどうやらマイナー?くさい。
■わたしをルナミにはめてくださりやがった妹ユキに、「シャンマキっていいよな〜」といったところまたマイナーなのにハマるしといわれるしクソウ。(地団駄)
■かなり(痛)系の話しになってしまいました…ごめんなさい…。(弱々しく)
■とくにマキノさんにごめんなさい。
(死ぬ予定だったなんて口が裂けても言えねェや…)
■読んでくださってありがとうございました。
2002/01/03 (木)

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