■ きっと綺麗ね ■


 

 …空気は綺麗で。
 少ししかないけれど水は優しい。
 砂塵を含んだ風が頬を滑る。
 熱気が石段から舞いあがり、
 すぐ近くから賑やかな喧騒が聞こえる。


 わたしの、生まれた国。

 今は、荒れています。
 悲しい事に、少しずつ、少しずつ亀裂が入っていって。
 その国の王である父もたくさん骨を折って、全力を尽くしてきました。
 父を慕う人々は困惑しながら、躊躇いを覚えたこともあったでしょう。それでも付いてきてくれました。
 クロコダイルという男の、卑怯な罠でさえ固い絆は断ち切れなかった。
 だから、なんとか、持っていたのだと思います。

 みんながいなかったら、どうしようもなかった。
 がんばって、がんばって、
 がむしゃらに二年間走ってきたのだけど。
 その間苦しくて何度も歯噛みしたんだけれど。

 泣きたくなるのをじいっと堪えるのは、とても辛かった。

 それでもね。
 みんながいたからやっと、泣くことができたの。

 あなたがいたから。



 Mr、ブシドー。


******************************It's surely,beautiful**********

 別れというのはいつの時でも辛いものだということを、生憎ビビは知っている。
 知らなければ平然としていられたろうか。
 それとも、こうして予め覚悟出来ないのもあってか、よほど辛いだろうか。

 何にせよ。

 出会ってしまった以上、別れは必然なのだ。
 道の違い、考え方の違い、生き方の違い…生死の別れもあるだろう。
 ただ、そのために努めて仲良くしないようにしよう、なんて出来る筈もない。

 ネフェルタリ・ビビにとっては、国というものは家族同然。それこそ、至宝といえる。
 国は形がない。人がいて、暮らしがあって、その場所に思い出ができて、価値が生まれる。
 父は良く、国は人だと説く…全くビビもその通りだと思うのだ。人が本当に生き生きと暮らせる場所だから『国』なのだ。守りたいと思える場所。安心できる場所。なにより大事な場所だと思えてこそ―――やっと国が生まれる。
 王族と国民の隔たりのない中で育ったビビの中に自然に培われてきた国という概念。それこそ、帝王学のようなものだったのかもしれない。国を我が子と思う心、それが彼女の血なのだ。

 例えば、海賊たちが海に焦がれて焦がれてやまないように。
 ビビにとって国は海。国が好きだ。愛しく思う。なにより、変え難いものだと…そう思うから。

 やっと、長い闘いが終わり。
 くたびれ果てたビビは、それでも気を失うことが許されなかった。
 責任を果たすという意味で意識を失ってはいけなかったし、なにより何もわからず戸惑う人々―――愛しい国そのものに説明をするまでは、何としてでも堪えなければいけなかった。
 長い今日に絶望する必要はなかった。
 短い明日に畏怖を覚える必要もなかった。
「よかった」
 何より思うのは、
「―――よかった」
 生きていてくれることの喜び。
「…みんな…本当に、」

 誰かが死んでいく悪夢を見るのは、厭です。


***


 そう、何度も夢を見た。
 不慣れなバロックワークスでの活動。必死になって重臣イガラムとひたすら見えない敵を探り続けた日々…その中で不思議な存在に逢った。ペアを組むことになったMr9はどこか剽軽で、それでいて礼儀正しいところがある。当初任務を抱えて暗い顔をしがちだったMissウェンズデーとしてのビビを明るくフォローしてくれた。Missマンデーは屈強な身体をしながらも、心は仲間思いの気風のいい彼女だった。
 それでも。
 心が許し切れるはずもなかった。任務をこなすのに支障をきたさないように。悪事にも平然とするふり、お金のために昇進のためによと、つんと澄まして。
 本当に自分にとって、バロックワークスという組織はすべてが敵ではないのだと知ったのは…正体がバレて、どうしようもなくなったとき。
(ごめんなさい、Mr9)
 長年コンビを組んだ誼だ、そう笑ってくれたひと。
(ごめんなさい、Missマンデー)
 友達の盾になったほうがいい、そう笑ってくれたひと。
 本当に大事なことは、決して諦めないことだと思った。報いるためにも、決して諦めないこと。惜しまないこと。
 ビビに出来ること、それがすずめの涙ほどの小さな効力しかなくても、どんなに無駄に思える行為でも―――信じていたかったのだ。

 命を惜しまなければ、きっと、国は救われる。

 悲しい夢を見ていたのだ。

 それでも、アラバスタは生き延びてくれる。たとえビビが死んでも、せめてバロックワークス―――そう、クロコダイルも一緒に、引きずりこむのだ。死の淵へ。
 身を投げ出す瞬間引っ張られた感触に驚いてビビが顔をあげれば、酷く無愛想な顔がそこにはあって、
「お前、ばかだな」
とそんな視線を叩き付けられた。



「…夢」
 額に浮かんだ汗が、冷たい空気に触れてひんやりする。
「また、見ちゃった…」
 見えない大きな黒い影に向かって震える指を叱咤して、孔雀スラッシャーを放つその恐怖は今もなお、ビビを絞め付けている。
「…ルフィさん、平気かしら?」
 慌てて立ちあがり、少し寒気を覚えてストールを手に取る。この国は昼夜の温度差が激しいのだ…砂漠を歩いては見たけれど、それでもやはりすこし切ない。
 二年。二年だった。バロックワークスに潜入した期間を思うとこの肌寒さすら愛しかった。
 ルフィはまだ目覚めない。昏々と眠り続けている。―――彼もまた夢を見てるんだろうか。
「きっと、メシの夢見てるぜ」
 そう、サンジが笑ったから、じゃあ、いつでもたくさんの御飯を作れるようにしておかなきゃ!…そう笑ったのはビビ自身だ。
「ビビ、疲れない? あんたもよく寝なきゃだめよ」
 チョッパーと二人でルフィの看病をしていたビビにナミがきっぱり言ったときも、
「ありがとう、ナミさん。でもね、どうしてもさせて欲しいの」
 …そういいながら、チョッパーとナミにビビも休むようにって強く言われて、うとうとして。

 ルフィの横となりで暫く寝ていたのは、船長同等ほどの重傷者数名。チョッパーの懸命の看護と治療と、元々の信じられない脅威の回復力でゾロがうろうろし始め、サンジも包帯の取れたウソップを連れて良く街の様子を見に行くようになった。
 ナミもしばらく…多分、ビビにわからないように充分注意していたようだけれど…しばらくの間、足を引きずっていた。

「誰も死ななきゃいいと思ってるんだ」そうルフィは言った。
「今日はおれ、がんばるんだ!」小さな目を輝かせてチョッパーは言った。
「ビビ、心配すんな!俺がついてる!」震えながらウソップは言った。
「もう一人で闘ってるなんて思うな」クールに、サンジは言った。
「あんたは反乱の心配してりゃいいのっ!」気を使うな、とナミは言った。

「いいか、ビビ」
 彼の横顔は決して優しくはなく、
「クロコダイルは…あいつが抑える」
 ルフィを信じた力強い言葉が、ほんの少しだけ羨ましくて、
「反乱軍が走り始めた瞬間に、この国の“制限時間”は決まったんだ」
 正しいことを、容赦なく吐き、
「国王軍と反乱軍がぶつかればこの国は消える。
―――それを止められる唯一の希望がお前なら…何が何でも生き延びろ」

 それはビビにとって革命だった。
 国を国と生かし、愛し、慈しみ―――守るためなら犠牲はつきものだろう。
 誰も死ななければいい。それがビビの甘さで弱さだったことも、認める。
(でも、誰も死ななければいい―――)
 かわりに、わたしをあげますから。
 わたしをこの愛しい砂の大地に捧げますから、どうか、誰も死なないでください。
(あなたは)
 彼は、そんなビビの自己犠牲を粉砕したのだ。生きろといった。それも、
「この先、ここにいる俺たちの中の―――誰がどうなってもだ」
 無情な、絶対条件を叩き付けてのけたのだ…。

「Mr.ブシドー?」
 深い夢の中で出会ったのは…その深淵を笑う、自分を貫き通す力を持った剣士だった。
 ウィスキーピークで百人の武器を持った賞金稼ぎに囲まれようと、太古の密林で死の淵に立たされようと、雪国に降り立ち、そんな相手とまみえようと。
「ブシドー・スタイルは変わらないのね」
 それを恐ろしいと思った。ひどく、ひどく…切ないと思った。
 早まるな、と。助けにきたと語った寸前までの敵である彼を恐ろしく思った。
 自分の横で、蝋に囚われた足を斬り落とそうとした彼を恐ろしく思った。
 癒えない傷を抱えながら平然と鍛錬に明け暮れる彼を恐ろしく思った。
 そうして、その立ち姿をなにより気高いと思った。
「私は、とても気高いひとを知っている」
 まず、父だ。誇り高く、その誇りをいかに自分らしく使うかを知っている。そのためなら骨を折ることを惜しまず、苦労を隠し、豊かに笑う…王座に居る彼を本当に誇らしく思う。
 イガラム、ペル、チャカ。戦士たちの中でも本当に意思という力の強い彼らがいてくれたからこそ、その基盤にしっかり、根を張ることができたのだ。
 蕾の名はアラバスタ。花の名は国の民すべて。土である父の横に水を捧ぐのはビビ。
 それを誇らしく思う。ビビの中にも気高さが息づいているのだろうか。
「―――でも、あなたは」
 無茶苦茶で、傷付くことなど少しも怖れずに、常に不敵で孤高だ。…しかし仲間を腹の底で信じ、思っている。その気高さに出くわして、随分と驚いてしまった。
 野生の狼に牙を剥かれ、立ち竦むのがビビであり―――それを見て笑う狼こそ、あの剣士にあたる。それでも牙を自慢するような真似はせず、遊び半分に獲物を狩ることもしない。それこそ面倒くさい、無駄なことだと言わんばかりに寝そべって目をつぶる。

 バルコニーに寄りかかるようにして、静かに目を伏せていた彼を見つけて…不意に笑みがこぼれた。砂漠の美しい月に照らされて、だらしなく凭れている姿はどこか面倒くさそうだ。
「お。ビビか」
 くい、と顔を上げた剣士の眼差しは冴え冴えとしていて―――
(最初に睨まれたときは、本当に怖かったわ)
 今は見つめ返せることを嬉しく思う。
「ルフィの看病か? …どうせほっといたって死なねェ、腹減りゃ起きるだろ。
 …発熱は、怪我を治す自己回復の現れみてェなもんだしよ…。
 ―――お前もあんまり、無理すんな。倒れてもしらねェぞ」
 彼の乱暴な程の言葉は、裏返せば高熱にうなされる船長へのシンプルな信頼の証。
 そしてビビを気遣う不器用な言葉。
 その、低い声を愛しく思う。
「大丈夫。…ありがとうMr.ブシドー」
「おう」
 あまりに鮮烈でふてぶてしい生き様を見て、ビビは『武士道』という言葉を思い出した…アラバスタに騎士はいるが『もののふ』は居ない。彼はその武士の魂を持った、不遜な剣豪である。
 だからこそ、口について出たのは「Mr.ブシドー」。
 あまりに口に馴染んでしまった呼び方だから、つい、変えそびれてしまったまま。
 …彼の名を呼ばないまま、悪夢の晴れた優しい夜は更けて行こうとしている。
(これは、少し、綺麗事だわ)
 少しの間冒険しただけ。そうして苦しい闇の中、夜明けの夢を見た。
 その光りの中で鼓動を打つ生々しさに惹かれて、微かに心をときめかせた。甘い感情に身体を振るわせ、そうすること自体をひどく後ろめたく思った―――それでも。
 彼らは笑っていてくれたから。
「こんな船だと悩む暇もないでしょ?」
 そう笑ったのはナミで、本当にそうだと思った。
(アラバスタすべて、忘れたかったわけじゃない。二年間、狂おしいくらい国のことばかり考えていた)
 焦り過ぎていたのだと思う。追い詰められていたのもある。
(だけど…)
 柔らかな瞬間を与えてくれたこの光明に、ひどく、神聖な気持ちで向き合ってしまうのは綺麗事すぎるだろうか。
(わたし、綺麗な夢を見たいだけかしら?)
 綺麗で、甘い。砂糖菓子みたいに、熱で溶けてしまうような。
「おい、ビビ」
 不意に感じた額への手のひら、高めの温度。
 そんな繊細な甘さなんて、みるみる溶けてしまう温度。
「ぼーっとして…大丈夫か、お前」
 間近に二つ、鋭い双眸があるのに気づいてビビは大きな目を更に丸く見開いた。
「あ、えっ!あのっ!」
「―――ビビ?」
(嬉しい)
 とても嬉しい、唐突な感情が膨れ上がる。とても、うれしい。
 名前を呼ばれる行為も、こうして相手の温度を感じる行為も、なんて優しい…うれしい。
「…Mr.ブシドー」
 あなたは、この金色の砂を熔かしたような、不思議な目をしている。
 獣の獰猛さと、冷たいほどに冴える知性を輝かせて、無愛想にこちらを見ている。
(綺麗だわ)
 生きているから綺麗だと感じる。ルフィだって、ウソップだって、ナミだって、チョッパーだって、サンジだって。
 いま、今を生き、精一杯輝いていた。だから、ビビは仲間だと言ってもらえたことがなにより嬉しかったのだ。

「あのね」
「んあ」


仲間のしるしだ


「ナミさんに布を結んでもらう前…あなたに、しるしを描いてもらったの覚えてる?」
「ああ。もちろん」


 いまだに消せない仲間のしるし。一生、ビビの腕に残ればいいとさえ思う。


 今言わないと、
 あした言えるなんてわからないから。

「わたし、ゾロが、とても、だいすき」

 もしも私のいのちが、砂漠の花を咲かせる小さな泉になれるのなら、それすらかまわないと思っていた。
 たとえ私のいのちが、静かに食い破られて朽ち果てても、すべて投げ出してもかまわないと思っていた。

「生き延びなければならないと、言ってくれたあなたが大好き」

 気づいたらビビを守るように、刀を咥えて不敵に笑った剣士をいつから目で追うようになったのかなど―――そんなこと、考えるまでもない。最初から。

「だから、私、祈ってるね」
 ううん…
「―――信じてるね。Mr.ブシドーはきっと、大剣豪になる」
 今も本当は迷っている。
 一緒に走り出したいと、苦しいぐらい思ってる。
 けれどこの思いの果てに決意が見えるなら、託してみるのも構わないだろう。
「…そうか」
 沈黙したまま遠慮のない視線がビビを眺め、
「―――あいつら泣くぜ」
 ふん、と拗ねたように鼻を鳴らすゾロがおかしかった。
「まあ、お前が決めたんなら仕方ねェしな。俺は…そうだな、大剣豪になる。
 お前は、信じるも信じないもねェ、立派な王女になる。そうだろ?」
「……うんっ!」
 この少し鈍感な剣士は、王女の愛の告白だと気づいているのか、いないのか。
「Mr.ブシドーも、寂しい?」
 笑って見つめたら、そうだなあ、とゾロは頷いた。
「寂しいだろうな。でも、お前は仲間だし」



 離れていようが、王女だろうが。

 


***

 だから、少し、最後だけ。
 ビビは泣いてしまった。別れを言う瞬間が辛かった。
「いつかまた逢えたら―――」
 唇を噛み締める癖はやめようと思った。でも、もうすこし、いま、すこしだけ。
「…仲間と呼んでくれますか…」
 後姿が綺麗だった。みんな、みんな、清冽で勇ましく、とてもきれいだった。

「………Mr.ブシドー」

 ゾロと、一度だけ呼んだあの夜の唇はひどくふるえて、舌は怯えていました。

「あなたの目に、砂漠がある」
 岩肌、岸壁、谷に荒野、雪原、嵐、密林、突風に海。
 そしてオアシス。彼らは身体中に冒険と、アラバスタを刻み付けて旅立った、だからこそ。
「―――きっと、あしたも綺麗ね」

 少し上目遣いで見上げないとちゃんと見られない双眸に、その息吹が滲んでる。
 明日は見られない双眸も、きっと綺麗に滲んでる。

「…きっと綺麗ね」

 …あなたがいたから。
 明日のアラバスタも、きっと綺麗なのでしょう。


 親愛なる、
 Mr、ブシドー。


■今度こそゾロビビ!!
■ということでぜーはー荒い息で書きました。ヒョエエ(青)
■ずっとゾロビビは書きたくて書きたくて、練り練り構想を考えていたのですが、最新巻も発行されたので…ネタバレ解禁、の別れのお話です。
■ビビちゃんは本当に大好きなので、いつまでも仲間なんだと思います。

■いつかまた会えたら。

02/04/06

戻る

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送