■ 懐古/陸路 ■



「なに見てるの?」
 優しい声にチョッパーは顔をあげて、ナミの顔を確かめてから照れくさそうに笑った。
「この店、なんか不思議な匂いがするんだ」

 鼻をちょんと硝子につけるようにして、淡々と飾られた…というより、無造作に置かれたそれらを食い入るように見つめていたトナカイに、そうねえとナミも中を覗き込む。
「アンティークショップね。チョッパー、入ってみる?」
「ええ!で、でも」
 町の中を普段の小さな姿で歩けは人々が騒ぐ。
 だからこうやってお使いにくるときは、いつも人獣型から獣型、つまり生来のトナカイの姿に戻らなければならない。あるいは人間型になって。
「大丈夫よ。私が抱っこしててあげるわ」
 ぬいぐるみのふりでもしてれば大丈夫なんて笑うナミがあんまりにも楽しそうだったから…トニートニー・チョッパーも頷いて…一応人目を気にしてから人獣型に戻った。



 骨董品が散乱する部屋。その店自体が年代物のようで心持ち右斜めに傾いている気がする。
 ナミに両手で抱きかかえられて、チョッパーはドキドキしながら店内を見渡した。
「…これ凄いわ」
 ナミは壁に張られた随分と色褪せた海図に目を奪われる。
「凄い…随分古いものなのに、緻密に描かれてる―――」
 棚の上にまた棚。その間に本や、置物や、人形などが秩序なく置かれていて…きっとルフィなんかが見れば「不思議部屋」で済ませてしまいそうな、けれど独特な雰囲気のある、店。
「ナミ、桜の樹だ」
 決して高いとは言えない天井を仰いで、チョッパーは出来るだけ小さい声で呟いた。
 梁から吊るされた紐に絡まるようにして、薄地の布が垂れ下がっている。
 そこに描かれているのは確かに桜の巨木。
 ナミも、それを仰いで溜息をついてから―――ゆっくり、頷いた。
「思い出すわね」
 ドラム王国…今はもう名もなき冬島の国…チョッパーの故郷。
 最後に見た美しい幻想的な薄紅の雪は冬島には咲かないはずの、桜だった。
 少なくとも冬島の皆々と、麦わらの海賊たちにとっては間違いなく、それは偽りない桜の樹。

 声もなく天井を見つめているチョッパーを見て、ナミは目元を和ませた。
「…どうしたの?」
「うん…なんか…よく、わからないんだけど」
 こう、胸のあたりが小さく痛むんだ。病気になった感じじゃないし…なんの症状だろう。
 そんな風にふしぎそうに呟く船医に、ナミはくすくすと笑ってから答える。
「病気じゃないわ。自然なことよ。
 誰だって、きっと一度は思いを馳せる―――」

 それは確かに『懐かしい』という心の響き。

「私もね、時々思い出すわ」
 ナミには姉がいる。血はつながらないけれど家族がいる。血の強さも確かに存在するのだろうけれど、それ以前に人の思いとは何をも凌駕する可能性を秘めているのだと。
 自分で、味わった。ノジコもゲンさんもきっと、元気。みんな元気。私も…元気。
「そういえば、ナミは手紙かかないんだな。ウソップが良く書いてるのは見るんだけど」
「私も元気だし、向こうも元気だろうから。便りは出さないようにしてるの」
 形の良い爪が古びたオルゴールを摘み上げるのを、チョッパーはまじまじと見つめていた。
「元気だから、出さない?」
「そうよ。でも、手紙を書くのはいいことよね」
 私は書かないだけ。そう笑うナミの横顔がとても綺麗で、なんだか直視できなくなって…チョッパーは慌てて、オルゴールが置いてあった机に腰掛けた。
 さっきから小声で話してはいるけれど―――どうしてか、この店内に人の気配がしない。
 店主は何処かへ出かけているのかも…そう思って、ぴんと姿勢を正した状態でいたチョッパーは肩の力を落とし、息を吐く。ぬいぐるみのふりっていったって、結構疲れるのだ。
「ドクトリーヌに手紙を書いてみたら?」
 じりじり、じりじり。
 軋んだような小さな音が鳴って、それからオルゴールはか細い音を聴かせてくれた。
「でも…おれ、手紙を書いたことないんだ」
 困ったようなチョッパーに、大丈夫よとナミが言う。
「字もあまり書けないし」
「教えるわ」
「………ほんとなんだ。おれ、自分の名前も書けない」
「教えるわ。だいじょうぶ」
 ナミの手は優しいままで、決してさけずんだりするようなものじゃない。突然冷たくなって、突き放すような手じゃあない。
「…書けるかなあ」
「書けるわよ」
 即座に頷きかえしてくるナミに、やっとチョッパーも照れくさそうに笑う。「書けるか」

「じゃあ、そこの引き戸にいいペンがある。ちょいと黴てるかもしれないがねえ、便箋もあるさ」
 唐突に聞こえた穏やかな声に、慌ててチョッパーが人形のふりをする。ナミがそれを抱きかかえるが……骨董品の合間を縫うようにして現れた腰の曲がった老人は、笑って手を振った。
「やれやれ。ついうとうとしちまった。折角お客さんがいらしてくれたのに」
 小さな背丈の老人は、山積になった本と木箱の間に埋もれるようにして、小さな椅子でうたた寝をしていたらしい。全然気づかなかったと、チョッパーは目を白黒させ、ナミはこうなったら仕方がないとチョッパーを下ろす。
 老人がゆっくりした動作で引き戸を開けて、小さな箱をチョッパーに差し出す。
「…あれ」
 ふしぎな匂いがする。
「なんか、ヘンな感じがする」
「…ちょっと、貸してくれる?」
 くんくん鼻をならすチョッパーに、ナミが小箱を取ってすこし顔を近づける。
「―――ああ、本当ね。でも悪い香りじゃあないわ」
「香が入った袋が入ってるのさ」
 店主は呵々と笑い、
「やあやあ、間違えてしまったよ。年をとるとどうにもいけないねえ。…さて、こちらがペンと、手紙だ。そりゃあ懐中時計さ」

 懐中時計は随分古いもので、振っても音が全然しない。
「あ…」
 ただ、とても心惹かれたのは、その懐中時計の蓋に桜の模様が刻まれていたのだ。

「桜だ、ここにも桜がある」
 嬉しそうにチョッパーが言うから、店主は目を細めて頷いた。
「櫻は先代が大層気に入りの樹だったからねえ。
 うちにはだいぶ櫻をモチーフにした品が残ってるよ」

 遠い昔、海域を渡りきれる船が少なく、出来るだけ陸路を歩いた旅人達がいたそうだ。
 その時計で方角を、時間を確かめ、懐に抱いて旅をした。
「海からもたらされるものもあれば、陸でしか築けないものもあるのさ」
 店主が言うには、この櫻は遠い国のいっとう美しい、珍しい桜の種類なのだそうだ。
「儚い種だから海で運べばすぐに死んでしまう。陸路をゆっくり進んで、ほんの少し船をつかって、そうやってその櫻はやってきた」
 随分昔にそれも滅んでしまったけれど―――その櫻を覚えている人間が、丹精こめて金属に柔らかな彫り物をしたという。

 ただ、それは古いものだから直すのも難しい、それこそ骨董品だよ…店主からペンと便箋の入った袋を受け取って、ナミは何度か瞬きする。
「チョッパー」
 良いことを思い付いた、とナミが目を輝かせる。
「それ、買ってあげる。この便箋も一緒に」
「え!」
「時計ならウソップが直せるわよ。それに随分素敵な彫りじゃない?」
「でも」
「その代わり、この後私の買物にも付き合わなきゃいけないのよ。文句一つなく。
 …出来る?」
「う、うん」
「決まりね!」

 受け取った時計の針は本当に、少しもふるえないし、規則正しくリズムを刻むこともない。
「エッエッエ!」
 堪え切れなくなって嬉しそうに笑うチョッパーにナミも微笑う。
 おそらく、ナミにとって蜜柑がこれ以上ないほど愛しくて、切ないものであるように、
 チョッパーにとっても桜はふしぎな存在なのだ。
 その植物を通して誰かを―――思い出を…懐かしい何かを思い出し、心を暖める。

 思い出して涙が止まらなくなることもある。あまりに理不尽で、なにも出来なかった自分を歯がゆく思ったことなら、何度だってある。
 けれどあまりに悔いて、前をみることをやめていたら―――ベルメールはナミをごちんとやったかもしれない。「あんたはあたしの娘でしょ!」って。
 立ち止まっていたら、きっとヒルルクだってチョッパーに言っただろう。「おい、チョッパー。ハナミズふけよ」って。

「繊細な感情は、あいつらにはわかんないから、あんた、私と一緒でよかったって思うわよ」
 手を引かれて歩くと、でこぼこの影が出来る。
「でもそれでも、ルフィといると大変だし、おかしいし。寝てばっかりだけどゾロも役に立つし。ウソップだってその時計を直せるわ。サンジくんも美味しい料理を作って待っててくれてる」
「うん!おれ、みんな大好きだ!」
「私も、大好き」


 帰ったら、みんなにこのこと話そう。
 ウソップに時計を見てもらって、ナミに手紙の書き方を教わろう。





 だから、涙止まらなくなっても、懐かしい音が聞こえるから。
 ふとした拍子に、思い出してくれればそれでいいから。
 懐かしさに胸をふるわせ、静かに息をして。
 また笑って、元気でおいで。


 楽しんでおいきと、思い出は語る。





 夕暮れ、帰り道。
 チョッパーの帽子が楽しげに揺れた。










■タイトル、懐古陸路は造語です。そんな日本語は存在いたしませぬ…多分…。
■お題は懐かしむ。まんまですが…。(苦笑)
■ナミとチョッパーのペアもいいな、と考えてしまいました。いつもゾロチョかサンチョ(サンチョ…サンチョって…)ぽくなってしまうのでそのへんは封印。でもウソチョコンビも好き。ルチョもよし。とにかくチョッパーが好き。(本音)
■ちょっとしんみりするよな感じで書いたつもりです。

■読んでくださってありがとうございました。

■私はあなたを懐かしむ。けれど思い出にならないで。

02/01/24

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