[ ロビンソン・ノスタルジア ]




3月2日だからサンジなの? と壁から生やした腕でシーツを絞りながらロビンが言ったので、ウソップは洗濯ばさみを止めつつサンジだから3月2日なんだよと教えてやった。
「あら、それっておかしくないかしら」
「ほんとの誕生日は分からなくてさー、あの爺さんに決めてもらったらしい」
そうなの、と少し目尻を緩ませてロビンは笑った。彼女はもうすっかりゼフのことを知っている。酔っ払ったサンジが何回も繰り返す話はたいていバラティエのことばかりだからだ。ウソップが誕生日の話を聞いたのも、ウォッカでハイになりまくった本人の口からだった。

「自分の誕生日を知らない子供って、どんな気分かしら」
「そうだなー、普通当たり前に知ってるもんなー」
コックさんは誕生日をもらえてきっと嬉しかったのね、とロビンは見張り台の底を見上げた。
その付近に寝っ転がりつつ、ゾロは多少苦々しく二人の会話を聞いた。自分は知らなかったのにウソップは知っていたことがあるのが、どこか腹立たしい。

3月2日はよく晴れた日で、メリー号はマストから伸びたロープ中に洗濯物をはためかせながら航海を続けていた。サンジにとっては、見張り台の上に落ち着いて、そこから延々煙草の煙を立ち上らせるだけの日だった。
普通の船ではとても重要なはずの見張りの役割は、メリー号ではあまり意味を持っていない。双眼鏡で見えるくらいの距離に海軍や敵船が来る頃には、本能っぽいものでとっくに察知している部隊がいるからだ。多少気付くのが遅くなっても、それが命取りになるような船でもない。

よって見張りの主なお仕事は、変な雲がないかとか、竜巻が突然起こらないかとかに気をつけることだった。海王類は突然出てくるのであまり見張る意味がない。
だからこういう、ひとまず気候が落ち着いてしまっている日だと、サンジの仕事はないも同然だった。その証拠に彼は進行方向より後ろを向いている方が長く、煙は主に見張り台の前の方からゆらゆらしていた。



サンジには休息が必要だ、とチョッパーが黒目を全開にして訴えたお陰で、彼は誕生日に何もしてはいけないというプレゼントをもらった。先週やった戦闘から少し背中が痛んでいたが、変わらず仕事を続けていたのを見つかったのだ。
本人はいたく不満を表したが、まあまあ誕生日だからいいじゃないの、サンジくんの体はもうサンジくん一人のもんじゃないのよ、と金のかからないプレゼントに喜んだ航海士に義母のようなことを言われて、結局は押し切られてしまった。

次の島まではまだかなりあるようで、物を用意できるでもないし豪勢な宴会もお預けになる。大型クッション付きで一日見張りを命じられたサンジは食事の用意さえさせてもらえなかったし、せっかくの洗濯日和なのに、と呟いた小言もウソップにキャッチされて、彼とロビンの20本の手によってさっさと洗われてしまった。

毎日所狭しと働きまわるコックの仕事を引き受けた船員たちはそれなりに忙しくなったが、ゾロの日常には特に変化がなかった。おもむろに起き、普段より精彩を欠いた食事をし、素直に感想を述べてしまって用意したウソップとナミの怒りを買い、「てめえせっかくナミさんが作って下さったのに」とサンジに蹴られ、ウソップがきれいに無視されたことにひっそり傷付いている中鍛錬を始めるという、まあなんてことのない一日だ。

ルフィとチョッパーが中を掃除しているので、男部屋へ降りるハッチは開けられている。誰もそこまで手が回らないので10時のおやつを廃止され、ルフィは怒り心頭で船長命令を出したがあっさり却下された。むしろ逆に怒られて、「今やっとかないともう絶対しないでしょあんたたち」と掃除命令を出されてしまった。
本当はゾロも手伝った方がいいのだろうが、なんだか面倒なので甲板に転がったままでいる。珍しく昼間にぼうっとしているサンジの煙を見上げるのが変な感じで、ここから動きたくないような気分になっていた。



そうこうしていると診察鞄をぶら下げたチョッパーがどしどし上がってきて、ゾロのところに紙の箱を持ってきた。刀の手入れ用道具一式だ。
「これ大事なんだよな? 下今埃まみれだから別にしといた方がいいかと思って」
「おお、悪いな」
ゾロの横に箱と精密器具満載の医療セットを置いたチョッパーは、また男部屋に戻ろうとして、ゾロをじっと見下ろした。
「…なんだよ」
「いや、ゾロってほんとおじいちゃんみたいだよな」
「あァ?」
「だって何もしてないだろ」

ま、まあ…、とゾロが幾分やりにくい感じで頷くと、あのな、とチョッパーが説明を始めた。
「ルフィと掃除しながらさ、この船って家族みたいだよなって話してたんだ」
「おお」
「ナミがお父さんで、サンジがお母さんで、」
「ちょっと待て、普通それ逆じゃねえか」
「ナミは甲斐性があるから大黒柱タイプで、サンジは世話焼きで家事マニアだろ」
「それでオレは爺さんかよ」
「だってぴったりじゃねえか腹巻だしお茶好きだし」

でオレは長男なんだー、とチョッパーはあくまで嬉しそうだったが、もしかしたら自分はさりげなくひどいことを言われたのかもしれない、といぶかしみつつゾロは相槌を打った。
「まあナミが親父っての説得力あるかもな」
「ああいうの、雷親父って言うんだってルフィが言ってた」
あまりに明け透けな表現に、お前それ絶対黙っとけよ、本人に聞かれたら殺されるぞ、とゾロは思わず忠告せずにはいられなかった。

ドクターとドクトリーヌを忘れたわけじゃないけど、なんか楽しいよなそういうのって、とチョッパーは歯を剥き出しにする。海賊に相応しくない長閑な考え方ではあるが、医者のおっさんと、いろいろな意味でナミをも凌ぐ婆さんと出会うまで自分の家を見つけられなかったトナカイにとっては、特別の思いつきなのだろう。
ふむ、とまたゾロが頷いてやったのに満足そうに、メリー号の長男は掃除に戻っていった。



ゾロには家庭の記憶というものがあまり残っていない。気付いた頃には両親はおらず、先生の道場に厄介になっていた。くいなが死んですぐ村を出たから、誰かと長い時間一緒にいたこともあまりない。
今考えてみると、あの道場も家のようなものだったはずだ。事実彼らはとてもよくしてくれた。愛情と言っていいくらいのものを与えられたように思う。

しかし共に寝起きをしてはいても、ゾロにとって先生はずっと「先生」だったし、くいなも「くいな」のままだった。ゾロの核に最も近い二人ではあるが、最初に「先生」と「ライバル」として認識してしまった以上、家族とは繋がらなかったのだろう。

どちらかというと、ゾロはこの船の人間の方をそうと感じる。一緒に過ごした時間は長くはないが、密度がべらぼうだ。血は繋がっていなくても、居り方一つで人の関係はぐっと濃くなるものなのだ。
一部を除けば別に普段からべたべたしてはいないが、まあ何かあったら助けてやりたいと思うし、死んだり辛い目にあったりしてほしくないと思う。これが身内とかいうのに持つ感覚なのかもしれない。そうなるとゾロには初めて家族ができたことになる。

実家というようなものを持つクルーも確かにいるのだった。ルフィは母親代わりがいるそうだし、ウソップには故郷の村、さらにはあのお嬢様がいる。ナミには姉のいるココヤシ村、チョッパーはドラムロック、サンジも尋ねられれば「生まれはノースだけど実家はイーストのクソレストランですよ」と答えるだろう。ロビンからはそういう話を聞いたことはないが、なんとなくゾロと同じ口のようだ。

「実家には祖母と猫が3匹住んでるわ」
ぎょっとゾロが目を剥くと、男部屋から出てきたらしい洗濯物の山を抱えながらロビンが通り過ぎるところだった。
「そうそう、私は出戻りの長女辺りを希望するわ。あと船長さんはタマがいいんですって」
長鼻くんは立場的に板挟みの入り婿ね、とロビンは不吉に去って行ったが、あの女は果たして人の頭の中まで覗けるんだったろうか。






男部屋がきれいになり、洗濯物も順調に乾いたところで「もう暇で暇で腐りそうです」と頼み倒し、サンジは夕食だけは作らせてもらっていた。貧乏性というか回遊魚系というか、とにかく動いていないとダメなタイプなのだ。
ゾロは当番だったのでコックと入れ替わりで、さすがに夜は重要な見張り台に登った。ふわーっと欠伸しながらダンベルを上げ下げしつつ、今日自分が本当に彼のために何もしていないことを思い出し、どうすっかなー、まあベタに体で奉仕すっかー、とのほほんと納得しているとコックがやってきた。頭に乗っけていた籠をこっちに寄越すと、ひらっと乗り込んできて勝手に落ち着いた。

「ちゃんとお手拭き使ってから食えよ」
もごもごとゾロはおにぎりを頬張った。今日は甘辛いカルビが入ってるのがいい感じだな、と咀嚼していると、ポットのお茶を渡して来ながらサンジがしみじみと言った。
「いやー、お前よく毎日あんなにぼーっとしてられるよなー。あれも一種の才能か」
「は?」
「オレ今日ずっと見張りだったじゃん。敵船は来ねえし海軍も追いついて来ねえし雨さえ降らねえしで、もううっかり死ぬかと思った」
「んだ、寝てりゃいいじゃねえか」
「アホ、見張りが寝ててどうすんだバカ。つうか昼間に寝るだなんて発想がまず湧かねえ」
そんなもったいないことしてたらジジイに蹴り飛ばされるわ、とサンジは柄悪く目を細くした。

その言葉で、ゾロはウソップが言っていたことを思い出した。
「なあ、お前の誕生日って」
「あー」
「あの爺さんが決めたのか」
「あー」
「お前どうだった」
「何がだよ」
「誕生日作ってもらって」



そこから少し間が開いて、耳元からだんだんじわじわと赤くなりつつ、ぼそっと「まあ、それなりに、まあ」と彼は言った。そして突然の質問に、居た堪れなさげに毛布を巻きつけた。
「今日ずっと船の後ろ見てただろ」
「………」
「見えたか」
「見えねえよアホ」

島が近付けばなんとなくは分かるが、グランドラインでは方位なんてほとんど無意味だ。だからサンジは船が立てた白い波や、その奥の水平線ばかりを眺めていた。バラティエはメリー号が来た方向にあるのだから。
誰より大人の男のような顔をしているけれど、所詮19のガキに過ぎなくてこうしてたまに思い出してしまって、彼は煙草を噴かしながら何を考えていたのだろうか。

ゾロの胃は少しくしゃっとなった。あれだけナミとロビンに一生捧げるみたいな感じでいながら、実はゾロといちゃいちゃするのが好きなところ。ルフィの「腹減った」をなんだかんだで放っておけないところ。チョッパーのために新鮮な牛乳をこまめに調達するのを忘れないところ、ウソップと男子校ノリで喋っていると随分嬉しそうなところ。
今ここにいるサンジが作り上がった中で、片足義足の爺さんと柄の悪いコックたちとレストランは、いったいどれくらいを占めているのだろう。

「オレさ、遭難しただろ」
「おお」
「何もない島でジジイが自分の足食ってんの見つけて、もうそこから動けなくって横に蹲っててな。そのまま何も言えなかったらさすがにジジイが気利かしたらしくて、今更みたいに名前とか聞かれた」
「でもお前チビナスって呼ばれてたじゃねえか」
それは愛称だ愛称、愛情表現だ、と彼は巻いた眉をきゅっと上げた。
「で、明らかに会話持たせるためっぽく誕生日も聞かれたけど、オレ知らなかったから」
だからそのとき、皮を骨に張り付かせ、目の落ち窪んだゼフは言ったのだった。サンジだから3月2日でいいじゃねえか。



「あの緊急事態に、見事に場違いで呑気な会話だったけどな。なんとなくそれがあったから死ななかったような気がするんだよな」
今度3月2日が来たら、このジジイが何か自分のためにしてくれるかもしれない、と子供のサンジは期待を持った。死はすぐそこまで来ていたけれど、いっそ非現実的なまでに、自分の誕生日を初めて迎えるということに気を取られた。
「誰かが祝ってくれる誕生日なんて思ってもみなかったから、嬉しかったよ」
サンジがそう言うので、ゾロの胃はまたきゅっと痙攣した。なんだかとにかくゼフの前に土下座して、すいません頂いていきます、とでも挨拶したい気分だった。

「チョッパーがな、オレらが家族みたいだっつってて、お前は一応お母さんらしいぞ」
「はあ? 何でだよ」
髭が生えてて眉が巻いた母親なんているもんなのか、と聞いたらすぐさま脛を蹴られた。
「アホ、台に穴が開く」
「うるせえよクソ」

「なあ、家があるってどんな気分だ」
ゾロに親の記憶がないことを知っているサンジは、また少し黙った。
「そうだな、なんかだらけてた背筋が伸びる気がすんな」
「まああの爺さんならそうだろうな」
そしてゾロは、最初にバラティエで会ったときのサンジを思い出した。今よりもっと生意気で妙な自信に溢れたガキで、でも本人に気付かせないように周りから目を掛けられているのがよく分かった。

それから、誕生日を決めてもらって、嬉しいのだけれど素直に表現できずに悪態をつくやせっぽちの、小さな金髪のガキを思い浮かべた。
帰る場所を持った人間はきっと根が強いのだ。だからコックはいつでも諦めないし、自分の意地を曲げることを知らない。



サンジは自分用にもお茶を注いで、ぐっと飲み干した。
「お誕生日おめでとうオレー」
「はいはいおめでとう」
なんで酒じゃねえの、とゾロが聞くと、おにぎりにはお茶って昔から決まってるんだよと怒られてしまった。なので耳に齧りつくと、あーもうてめえはいっつもそればっかりで何か他に考えつかねえのかよ、とまた怒られてしまったが、わりとサンジは嬉しそうだった。ゾロが毛布の中に手を突っ込んでも、まだ彼はそんな感じだった。

魔獣が何を落ち着いたことを、と言われるのかもしれないが、ゾロの家はこの船になってしまった。そしてさらにどこか帰る場所があるとすれば、サンジにとってのレストランのようなものがあるのならば。
この温かい匂いがするコックの首元にしよう、と決めて、ゾロはそれを舐め上げながら青いシャツを引っ張り出した。






◆故drawn beyond(だから死んでない永遠にふめつ)のフジワラシナさんが、我等が青海のこあくまちゃんの誕生日を祝うべく、いっとき、復活した際の作品です。相変らずとんでもない彼女のおはなしです。
◆くれよ、と言ったらくれたので(ラッキー!)トントロbeyond(美味式)の作品をいちきゅっぱに彼女が残した言葉を添えて展示したいと思います。

◆「原作者も参戦し世はまさに大ゾロサン時代! サンジは玉なんだ! 地上に降りた最後の天使で1万ボルトなんだ! サンジなんてサンジなんて! サンジなんてゴールデンエンジェルフロムへブン!」
―――drawn beyond フジワラシナ

◆マラ、大丈夫か?(真顔)
04/03/14

Return?

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送