Call my name(そして伝説へ 忍屋SIDE)


 結局、あの魔物の名前なんてわかりもしなかった。
 魔物のくせに人を襲わず飄々として、おれぁ人間だったらコックになってたね、なんてへらへら能天気に笑うものだから、いつのまにかゾロが勝手にクソコックと呼んでいただけだ。
 触手のような何本もうねる手足を器用に扱って、ひしゃげた鍋から旨い料理を生み出すさまは、確かに料理人として向いていたことだろう。残念ながらひとつ云えることは、彼が料理人、ではなく料理スライムであったことだ。


 ホイミスライム、それが彼の種族である。
 スライムは魔物の中でも下級のモンスターだが、結束力が強く、性質は至って温和だという。
 ただ、知能の低い彼らはより凶悪な存在からの影響を受けると自我を失ってひとを襲う。世が平和ならば子どもたちと遊び、家族の一員として静かに暮らすこともできただろう。
 中には超重量級のキングスライムや、知能の発達したスライム、その体をメタルに変化させた希少なものまでさまざまだというが、人間のコックになりたいとのたまうホイミスライムは、一見すればクラゲのような軟体動物である。
 回復魔法を産まれたときから取得している彼ら一族は、癒しを与える魔物だ。透き通った頭部はうっすら青みがかかり、中で水泡が弾ける。じっと目を凝らせばその脳味噌や、後頭部から向こう側の目の裏が見えてしまいそうな不思議な生き物だ。
 目はまん丸としていて、口元はまるで笑っているかのように愛らしい。
「あれ、にんげん」
 まず開口一番言ったセリフに、ゾロは柄にかけていた手をそっと剥がした。大抵の魔物はこちらの気配をさとった瞬間、飛びかかってくるものだ。子どものような声色に…いや本当に一瞬人間の子どもかと思うほどあどけない声に拍子抜けてしまった。
 百戦錬磨の剣士であるゾロが、まさかこんな洞窟で――魔物が蠢くには最適な場所で―――気を殺がれることになるとは。
「なんだ、スライムか」
「おれをふつうのスライムといしょにすんな!
 ホイミスライムだぞ!」
「一緒」
「…いしょ」
 小さな「っ」がどうにも表現できないらしい。ゾロが思わず笑って、頭部を覆っていた兜がわりの(あんな重いものをかぶって頭を守ったところで、素早く動き耳が良く聞こえないのでは意味がない)黒手拭を取って頭を振ると、
「みどり」
 スライムがふよふよ暢気に近づいてきた。
「これ、みどりのいろだろ。はぱのいろだ。おれしてる」
「葉っぱ」
「…はぱ」
「葉っぱ、だ」
「はっ、ぱ」
 こんな小さな知能の、真円の瞳をぱちぱちさせて、何が楽しいのかえへらと笑うモンスターがこんなところにぽつんとしていれば、自然と魔物狩り目当ての旅の戦士に斬りかかられても仕方がない。
 腰にさげていた中古品のカンテラを手早く解いて手に持ちかえると、ホイミスライムの姿がくっきり浮かび上がる。どうやら魔物は目が非常にいいらしく暗がりでもきちんとゾロが見えているようだ。
(―――逃げなかったな)
 真っ白なつやつやした何本もある手足が微かに傷付いている。
「どうやら襲われなかったわけじゃねえようだな」
「…うん?」
 こくりと頭部が揺れた。人間で言うなら首をかしげたしぐさに値するだろう。
「にんげんいっぱいきた」
 けど、おれはホイミスライムだから、と彼は口元を大きく緩めた。
「ホイミをかければ、ケガなおるし、すみっこでじっとしてればこわくない」
「そうか」
 回復魔法で自分の傷を癒し、物陰に隠れて息を潜めて怖い人間が立ち去るのを待っていたのだろう。実際ゾロが刀を抜きかけたのと同じように人間がすべからく友好的であるとは限らない。
 でもこのスライムは、例え前に人間に攻撃されたとしても、ゾロに遭遇したときのように、暢気な声で、
「あれ、にんげん」
 真新しい珍しいものを見たときのように言うのだろう。
「おまえケガしてる」
 頬に小さな傷…先ほどのドラキーに突進されたときの牙のあとだろうか。ごしごしとそのまま無造作に頬を擦ろうとするゾロを慌ててとめて、スライムがふよふよと近づいた。
「ホイミ」
 その種族の名前につく、癒しの呪文は瞬く間に傷痕を塞いでいく。
 ゾロは、剣士であるため全く魔法の力とは無縁ではあったが、知り合いの魔女曰く魔法というのはきっかけを促す力だそうだ。微風を竜巻に、雨を嵐に、火を火炎に変える。回復呪文は少しだけ傷付いたその存在の生命力に、治癒能力を早めるよう促すサポート魔法とも言える。
 怪我など寝て治せばいいものだと思いこんでいた無骨な剣士は、やや驚いたように自分の頬を叩いた。
「スライム、お前はずっとここにいるのか?」
 暗く湿った洞窟は、人間が長時間居るのに適してはいない。羽根の生えたコウモリ型の吸血ドラキーや、毒胞子を撒き散らすお化けきのこは先ほどゾロ自身が斬り倒した。しかし、どうもこのふよふよと頼りないモンスターを倒してしまおうという気にならないのは、スライムが笑うからだ。
 ひとという生き物でないにしろ、笑顔なんて久々に見た気がする。
 ゾロの言葉に目をぱちくりさせたホイミスライムはたくさんある手足を一度に何本も動かして忙しなく体を揺らした。
「おれ、にんげんになりたい」
「ずっとずっとむかし、にんげんがきた」
「じじいはおれに、めしを食わせてくれた」
「コックっていうんだ」
「だからおれもコックになりたいんだけど」
「スライムだと、めし食ってもらえない」
「作ってもおびえてにげちゃうし」
「ドラキーはみずたまりのあめんぼが好きなんだって」
「おばけきのこはこけむした土が好きなんだって」
「おれのスープ、だれかに食わせてあげたいなあ」
「なら、俺と来い」
 ゾロの答えは簡単だった。スライムが一匹で居ても孤独にならない方法。旅の戦士に斬りかかられない方法。なにより、魔物の作った料理を誰かが食べる方法。
「俺がお前の料理を全部食ってやる」

 こうして剣士とホイミスライムは出会った。


2004/1/25 発行

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