くたばれ、鬼


+++マシンガン・ドラッグ+++

 人にはマイナスの面とプラスの面がある。
 それが交互だか、混濁してだかで人格が形成しているのであれば―――どちらかというと、マイナス側に立っているだとか、どちらかといえばプラス側の気分だとか、そういうのがあるのであれば―――間違いなく、サンジの気分はマイナスだった。
(お花畑がない)
 剽軽なマツゲがぱっちりとしたジョウロは、市販のものにウソップが遊び心とアーティストソウルでもって表情をつけたジョウロで、何処を見ているんだかわからない両目が少し可愛い。
 目があるんだからほっぺも描こうとルフィが頬をぐるぐる巻きにして、ついでに眉毛も描こうと眉毛までぐるぐるにしかけたものだからサンジは思いきり、遠慮なく蹴り上げたものだ。
 油性ペンで描かれた眉毛は消えなかった。
 気を抜いている隙に『サンジ二号』と底に書かれた。
 しかしナミが目一杯、大爆笑して涙まで流して喜んだからサンジは文句が言えなくなってしまった。色気の感じない明け透けな笑い方だけど、サンジとしてはそんな裏表のない笑顔を見ると何だか凄く幸せな気持ちになってしまう。レディの笑顔は好きだ。そしてがははと笑うナミが好きだ。こんなにサンジを幸せにする。
 だからジョウロの眉毛と名前は見ないようにして、ナミの大事なみかん畑と、その周辺に許可を得て植えられた小さな緑たちに水を撒く。
 ナミの笑顔を思い出してやっと少し思考はプラスになった。
 けれど植えたばかりのハーブたちは、つつましげに、それでもやっとこの土に慣れ始めたところだったのに―――くたんと頭を下げてしまっている。
「ああ、俺のバジル、オレガノ、パセリ―――」
 ベルガモット、ラムズレタス、ポットマリゴールド。
 海の上でのぷちガーデニングは一部クルーにとっては最近の楽しみで、ナミのみかんはいくら一生懸命面倒を見ても、ナミの許可を得ることが出来なければただ美味しそうなそれが実っているのを指を咥えて眺めることしかできない。いつも腹を空かせている船長や、いまだ育ち盛りの連中にとってはなかなかの拷問である。
 ナミのみかん畑の一部を借りてポットマリゴールドを植えたのは小さな船医だった。
 先日立ち寄った島で、その住人である子供と仲良くなっていたチョッパーが大事そうに抱えて持って帰ってきた、オレンジ色の花。
「貰ったんだ」
 うんと頬を赤くして、おずおずとナミに植えてもいいかと許可を求めると、一番興味もなさそうな顔をしていた剣士がちろりと花を見て、
「金盞花か」
「―――キンセン…金銭!?」
 ナミの両目がベリー色に染まったのを見て、お前の想像してるのとは絶対違う、と渋面したゾロは、顎で花を指して低く言う。
「キンセンカ。―――俺の知ってるその花の名前だ」
 ゾロが花の名前を知ってるなんて…と、その夜の夕食ではすっかり意外性を示したゾロと、小さな花と、うれしそうに面倒を見ると宣言したチョッパーが話題に上り、笑われたゾロは非常に不機嫌な様子を隠そうともしない。普段から美味いも不味いも言わない男がことさら無口に、一心不乱にメシをかっ込んでいくのをみてサンジは笑った。
 ポットマリゴールド…ゾロ曰くの、キンセンカが、オレンジの実のなる小さなみかん畑に添えられるとルフィは真っ先に
「きれいだな〜かわいいな〜。―――これ食えるのか!?」
 と期待通りの発言をする。
 サンジは笑って答えた。「ハーブティとかにならできるぜ」
 すると何処か幼い風に、チョッパーは嬉しそうに笑うのだ。
「食べれるんだったら、育ててもいいよな」

 食べられるものなら植えてよし。何時の間にかそんな不文律が出来て、オレンジの小さな花の隣にバジルが、パセリが植えられるようになった。
 当初食えるものが育てられていると知ったルフィはつまみ食いしようとして、そのあまりに小さな小さな庭園の主を見つめ、あまりにその愛らしい容姿にため息をついた。
「腹の足しにもなんねえよ。ちっこいもんな」
 諦めて、頬杖をついてじいっとその植物を眺めていた。
「けど、可愛いからいいか! うししししっ」
 冒険と食い物と面白いこと。ルフィの興味は常にそっちに向いているはずなのに、時々くるっと振り返って違う方向に走り出す。
 少しずつ増えて行く緑。主にそれは料理のためのちょっとした味付けに用いられるような、些細な影の功労者たち。味覚を満足させるリトルマジシャン。
 肉は肉で美味いけれど、生より焼いたほうがいい。ただ焼くじゃなく、油を敷いたほうがいい。油を敷いて、味付けをしたら最高だ。
 なんとかそれぐらいは理解できるらしい大食漢は、自分を満足してくれる「うまいもの」の材料たちを可愛がり始めた。
 未来の海賊王の心を惹いたらしい船の庭は、チョッパーと面倒見の良いサンジと…時々ウソップとルフィが手伝うようになって、ナミも笑いながら栄養分のことや、土のこと、肥料のことなどを年下の土などまともにいじったこともないであろう少年達に指南している。
 興味がなさそうに欠伸をしているのはゾロだけだ。

 食卓の話題にのぼるようにもなった、愛らしい庭園をみんな大事に見守っていたのに。

「タイム、ローズマリー」
 植えようと思っていた新しい品種も、もうこれでは駄目だろう。
 一昨日、一隻の巨大海賊船がルフィの首を取って名をあげようと挑んできた。さほど苦労した闘いではないにしろ、なにせ人数が多い。掴んでは海に投げ捨ててもあとからあとからあふれてくるのにうんざりした仲間達は打ち合わせもなく勝手に動いた。サンジとルフィが、敵船内に突入して船底を割り、ゾロがその間に時間を稼ぐ。とりあえず寝ずに奮闘したナミやウソップのほうが、戦闘を得意としないぶん疲れていたのかもしれない。
 丁度、ナミが少し休むと部屋に閉じこもってしまったときだ。
 風が、鳴った。ぐるんと音を立てて。厭な寒気を覚えて甲板で寝こけていたゾロが飛び起き、船首にぶらさがっていたルフィが慌てて「ナミ〜!」と叫ぶ。
 まるで一瞬の白昼夢のような嵐は、ゴーイングメリー号を砕くまでには到らなかったものの、みかん畑の比較的若い実をすっかり地面に落としてしまい、更に樹の下の小さな植物たちの命を無残に奪っていった。
 慌てて飛び出してきたナミの迅速な、かつ的確な指示によって直撃は回避された。まるで船を撫でるようにして消えた嵐は轟々と地響きのような声を残して偉大なる航路の海へと姿を消す。
 チョッパーは茫然と、地面に落ちてしまったみかんと、同じ色をした花を見ていた。

「―――ッ!」
 あーあ!と、思いきり怒鳴り散らせればどんなにいいだろう。
 こんなとき本音を上手に飲み込む癖は鼻につくだけで、全く可愛げがない。
 チョッパーのようにほろほろと涙を流したあとで、それでも鼻水を啜りながら懸命に後片付けをできたら、と思う。
 ルフィのように今までと変わらない顔色で、残念だなって、それでも心から惜しむことを拒まない姿勢でいられたら、と思う。
 何とか生き残った植物も、しおしおと元気なく頭を垂れている。
 このままだと土に充分に根を張るまでもなく、二日、三日で根腐れして枯れてしまうだろう。
 
「おい」
(何だよ、うるせえな)
「おい、クソコック」
(少しぐらい感傷に浸らせろ。…クソコックだと?)
 仏頂面で、しかもヤンキー座りで畑を眺めていたサンジを、何処か飽きれたような眼差しが見上げてくる。
「なんだ、クソ剣士。俺はてめえと相手してやるほど暇人じゃねえ」
「アホか。誰がてめえにかまってほしいなんて言うか」
 渋面で、しかも眉間に皺を刻ませてゾロは淡々とものを言う。
「ナミが呼んでる」
「んぉ! 愛しのナミさんが!? てめえ、それ早く言え、アホ!」
 てりゃあと庭園から甲板目掛けてジャンプしたサンジを見つめ、ゾロは冷ややかに視線をそらす。
「アホに言われたかねえ」
 ナミのやつ、使い走りになんか使いやがって、と渋面が鬼の面を刻む。
 そういえば、とサンジはその悪鬼形相をまじまじ睨んで、ふと思った。
(パシリってのは「つかいぱしり」の造語だよなあ)
「おい、マリモ。質問がある」
「―――あァ?」
 珍しくマトモに話しかけたサンジに、あからさまに警戒するような剣士の顔。
(俺ァ何やってんだか)
 サンジとて、不思議に思う。それでも、何となく、今、この男に訊ねてみたかった。
「お前はあのお花畑をどう思ってた?」
「はァ?」
 質問の意図が読めない、とばかりに顔をしかめ、ゾロは面倒そうに言い放つ。
「何とも思ってねえ。興味がねえ」
(―――これは失望だ)

 気づいているのだろうか?
 この男は、自分の残酷さを。

「何なんだ、てめえは。答えたろうが、さっさと行け」
 そう、唐突に問いかけ、かつ睨んでいたのはサンジのほうだったが、その心底イヤそうな…早く何処へでも行ってしまえという表情が癇に障る。
「…てめえに言われるまでもねえ」
 背を向けた瞬間、凍るような視線が肩とか、肩甲骨あたりに突き刺さって、酷く不快になる。
(てめえの目が潰れちまえばいいとかさ)
 不謹慎かつ、恐ろしいことを、思うのも。
(―――感傷も無駄だと、嘲笑うんだろ)

 小さな命が萎れて枯れた。すなわち死だ。けれどそんなことには目もくれない。
 前だけを見るのが勁さと言うのなら、
 そんな強さはくたばってしまえと、マイナスの感覚が銃弾のように突き刺さっていく。
 皮膚も感性も貫通した銃弾は、身体の内側を巣食い、麻薬のように浸透していくのだ。まるで、相手が正しいと思わせるように、気にかけてしまうようになる。視線が勝手にちらつき、視界がぼやける。目を開けると―――そこにある存在が、クリアに浮かんで。

(冗談だろう)

 何が正しいのか間違ってるとか、そんなことはどうでもよくて。

「今確信してンのは、俺があいつを凄ェキライだっつーことだ」
 ようしと、自己確認してから、サンジはエプロンをくしゃくしゃに掴んでいた右手を放した。
「俺はあいつを凄ェキライ」

 ゾロは嵐だ。
 小さな花をももぎ取って行く。
 命を命と思っていないのか、自分のそれさえ安易に扱うあの男が嫌いだ。
 ほら、今もきっと。
 ゾロの目に自分はうつっていない。見えていないのだ。
 あの男の世界に、サンジは存在しない。存在したとしてもきっと幽霊だろう。声も届かず、うるさそうに撥ね退けられる。
 踏み躙って、捨てていく人間だ。
 
 それを守るサンジとの相性は最悪なのだと、全力で納得した。



2002/08/09 発行

Return?

SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送