【恋をする】
 

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「姫っちにはまーだ早いぜ」
 そういって、からかうしなやかな痩躯のひと。結構な重みのある銃をまるで自分の身体の一部のように、自在に操る―――子どもみたいな笑顔のひと。
「トレインだけには、負けないんだから」
 強がる自分を楽しげに見て、本当に嬉しそうに、歯を見せて笑って。

 でも、次の瞬間彼の掴み所のない、まるで蜂蜜飴みたいな透き通った目は…

 もう、イヴを見ていない。

「…負けないんだから」

 前だけ見るなんて、ずるいもの。


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 イヴにはライバルがいる。
 名前はトレイン。トレイン=ハートネット。
 ちょっと癖のある黒髪は無造作に、あっちこっちに飛び跳ねているが、気にする風もない。
 朝起きて寝癖が酷くてもちょいちょいと撫でただけで済ますし、ひどいときなんか顔も洗わない。
 イヴがちゃんと注意しないとダメなのだ。起き抜けはひたすら弱いらしくて、こんなときに襲撃とかあったらどうするんだろうってくらい、頭が働かないらしい。スリッパは片方何処かになくすし、歯ブラシを加えたままうつらうつらと船を漕ぐ。
 すでに身支度を調え、コーヒー片手に新聞を読んでいたスヴェンが呆れるもトレインに声は届いていない。ふにゃふにゃしながら席について、冷えたミルクを喉に押し流すことでやっと、覚醒するのだ。
 朝食は基本的に質素倹約を心がけるスヴェンらしく、パン一枚にウインナーぐらいのものだが、ときおりプレーンオムレツなどがでる。乾燥にぼしを砕いてパセリと一緒に混ぜた特製オムレツに、イヴがぽかんとしてしまうくらい、いっぱいのケチャップとマヨネーズをかけて食べるのだ。

「ぷっは〜!んまかったあ〜!」
 満足そうに口元をごしごしして、ケチャップが頬の端まで広がったことに気づかず、大きな猫はうーんと伸びをするのだ。
「…トレイン」
「ん?どした、姫っち?」
 いつも楽しそうな琥珀の両目。
 本当に猫みたいに瞳孔が細くって、イヴはまじまじ見ることが出来なくなる。
「そのまま、外に出ると恥ずかしいよ」
 『彼』が今のところ、イヴの最大のライバル―――だなんて。



 確かにトレイン、そしてスヴェンはイヴにとって保護者のような存在だろう。
 彼らには本当に感謝している。まるでお人形のような存在だった自分に光りを見せてくれた、何気ない風景がこんなに美しいのだと教えてくれた…不思議な二人。
 そう、イヴにとっては彼らという存在は不思議で不思議でしょうがなかった。
 トレインなんて、朝は本当に弱いし、寝ぼけ眼でだらしなくしているからイヴがしゃんとさせないといけないし、スヴェンだってそうだ。新しい武器や弾薬の開発でしょっちゅう徹夜をしては、目の下に隈をくっきり浮き立たせて、昼頃に撃沈する。
 それなのにいざ、スイーパーとしての仕事となると全く表情ががらりと変わるのだ。
 トレインは常に楽しい事を探しているような、面白そうな目をしている…が、一度獲物を視界におさめれば完全に狩人になる。スヴェンも、同様に。普段はイヴにさり気ない優しさを見せている表情は引き締まり、冷静に現状を把握している。

 ギャップがある。二人とも決して完全とは言い難い。でも、それこそ、人間なのだ。

 決して完全ではないもの。失敗だってするし、喜怒哀楽もある。
 それをイヴに教えたのは他でもない、彼らだから。
(早く、追い付かなきゃ)
 必死に走らないと、置いていかれそうで怖くなる。

 怖いと思うのも、嫌だと思うのも、全部二人が教えてくれたことだ。
 スヴェンに置いていかれそうになると途端心細くなる。親にはぐれた仔猫みたいに、情けなく小さく鳴くことしか出来なくなりそうで、怖い。
 スヴェンは父のような、兄のような存在だ。彼に守られていると思うと安堵できる。安心感を与えてくれる存在―――それが、彼なのだろうと思う。
「…トレインは…違う」
 スヴェンのように、兄のような存在とも言い難い。
「だって、食事の時は私の御飯にまで手を出そうとするし」
 子どもっぽいのだ。チャンス!とかいってフォークを突き出してくるから、思わず腕を一部トランスさせて、ハンマーでごつんとやる。「痛いぜ、姫っち〜」なんて情けない声をあげるけれど、スヴェンは「よくやった」って頷いてくれる。
「全然、大人じゃないもの」
 イヴが読書中は「なに読んでるんだ?」ってちょっかいだしてくるくせに、いざ活字の羅列を目にしたら喉を鳴らして「だめだ!」と根をあげる。

 でも、だからこそ、かなわないと思うと悔しい。
 仕事のときだって、いつもはあんなに能天気にしてるくせに途端弾けたように俊敏になって、あっという間に仕事は終わってしまう。「本気を出せばこんなもんよ♪」なんて得意げにしてはスヴェンに「いつもこうだったらいいがな」なんて怒られるのがオチといえば、オチだけれど。

「追い付きたい…」
 追い付かなきゃ、だめ。
 だって、始まった時点で途方もない差があるんだもの。
 スヴェンと一緒だと安心できる。ホッとする。暖かい気持ちになれる。
 トレインとだと―――そう、わくわくするのだ。
 自分が知らなかったこと、知りたかったこと、面白い事楽しい事全部、あのいたずらっぽい光りに満ちた金色の目に教えてもらうと、とても…そう、じっとしていられなくなる。

 試してみたくなる。自分の手で。
 走り出したくなる。どきどき、する。

 スヴェンは振りかえってくれるけど。時々、イヴが遅れてないか、転んでないかって心配して振り向いて手を差し伸べてくれるけれどトレインはそれをちっともくれない。
 笑って、んじゃあ先に行ってるからって笑って走っていく。未練も、なんにも残さない。
(悔しい―――)
 一生懸命走らないと、尻尾だってつかまえられない。

「風、みたい…」
 突風だったり、疾風だったりする。大気の胎動のように、ぐんと波紋を投げて、簡単に飛び立ってしまうから。自由自在に姿を、表情を変えてあっという間に手のひらから逃げてしまうから。
「わたしも、風になりたい」
 ナノマシンの力で天使の真似するように、翼だって生えるけれど。

 それじゃあ、ダメなのだ。

 本当の意味で追い付かないと置いてけぼりにされてしまう。ちゃんと自分の足で追い付かないと―――。






「…っち?」






 だめになっちゃう。
 だって、私はトレインと


「イヴ?」
 突然耳元で大きなクラッカーがパチパチ鳴ったようだ。
「どした…?具合でも悪くなったとか?!」
 どうやら、ぼんやりしていたらしい。
 道の真ん中で立ち止まってしまったイヴを心配してトレインが血相変える。
「イヴ?!」
 慌てふためくトレインにがおかしくて、イヴは笑った。
「ううん、大丈夫」
「いや、無理するなよ。なんかあったらスヴェンに殺されるからなあ」
 真面目に頷いて、背中をちょいちょい、指差す彼は
「おぶさるか?」

(…そうじゃない)

「ううん」

 頼るのは魅力的。
 ホントに悔しくて仕方ないくらい、トレインは強いし、綺麗だ。
 置いてけぼりにされたらたまらないと思うくらい、綺麗だ。

「でも、そりゃじゃあだめなの」
「…んあ?」
 不思議そうにぱちぱち、瞬きする飴色が好きだから。
(対等に、なりたいの)

 一緒の視線でものを見たいの。
 頼るのはいやなの。縋るのも、違う気がするの。
 同じ位置に立ちたいの。
「負けたくないから!」

 だから、こんなに意地になるの。
 …認めて欲しいと、強く思うのは。
 横に立てば、トレインはちらっと視線をむけてくれると思うから。
 後ろは振り向かないけれど。
 ちっとも振り向いてくれないけれど。

「へーんな姫っち」

 だから、まだ。
 こんなに好きっていう言葉は伝えないの。

「トレインのほうが、変だもん」
「なにーィ!」




 あなたの、目にうつりたいから。



■うれしはずかし初書き黒猫SS。(超短文)
■黒猫は…好きなんだけど正直首傾げるというか苦笑せざるを得ないというか。コメントがヤバくなるのでアワワですが。うーん。頑張って矢吹センセェ。
■相方のアケコさんに捧げたSSです。

02/03/19 (2/11執筆)

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